大学に入学したての頃、無邪気な笑顔で勧誘のチラシを配ってきたテニスサークルの女子たち。生足をこれでもかと青空に投げ出して、女子謳歌してます!という自信に満ちた笑顔に、当初は憧れを抱いた。私も謳歌したい!(テニスに一切興味ないけど)と、新歓の飲み会に赴いてはみたものの、あまりの飲酒量と女子たちのキャピキャピぶりに、ラケットを購入する日に待ち合わせ場所に行くのをやめてしまった。
耳にキンキンと鳴る飲み会のコールや、男子が女子に飲酒を勧める時の目のわかりやすさに、ここにはいられないと感じた。男子のこういう目を大学生活で何度目撃しただろう。その度に、なぜ相手の意識を酒で朦朧とさせないとセックスを申し込めないのか、疑問を抱き、傷ついた。 でも、私は女でありたかったし、彼氏も欲しいし、セックスもしてみたかった。しかし、自分が拒否感を抱く方法を使ってまで恋愛をしたくはなかった。そういう方法を、当たり前の権利のように利用する男子たちに媚びるのも嫌だった。
モテるために男受けファッションに身を包まずとも、酔っちゃった♡と上目遣いをしてお持ち帰りされなくても、何それ知らなーい!って馬鹿を振りまかなくても、お気に入りのボロいジーンズと履き潰したスニーカーのままで、自分の好きなことを好きなように楽しんで、女でいられるはずだ。友人がジャニーズの〇〇君の“理想の彼女”になりたいと言う。“理想の彼女”、“いい女”。そんな男に都合のいい、自分主体じゃない女像は壊してやりたい。その頃から、どうしたら自分が自然に女でいられるかについての試行錯誤が始まった。
開き直ると「今も全然悪くない」と思えた
私が生足女子になるためには課題が多すぎた。
脱毛の吊り広告を見ながら、常に考えていた。なぜ生えてくる毛を無かったことにしないといけないんだろう?
「セックス中に無駄毛を見つけると幻滅する男性8割以上」という偏った統計に踊らされる私は何なんだろう?
なんでこんなに完璧にならないといけないんだろう?
美のチェックリストを全てクリアしたら、本当に女子を謳歌できるんだろうか?
なんでこんなに窮屈な、世間の「かわいい女子」の枠に当てはまらないといけないんだろう?
人間の魅力ってもっと幅のあるものではないのか?
なぜ今の自分を否定しないといけないのか?
経験していないことに対し、若い時は夢を見すぎていた。「これで全てが変わる」。この学校や職場に入れれば、充実した人生を約束されるはず。彼氏がいれば、毎日が楽しいはず。広瀬すずくらいの見た目になれば、人生全てうまくいくはず。
自分はこのままではいけないと常に思っていた。ここは居場所ではないと、周囲の人の価値まで勝手に否定した。そこに行けば輝ける!と思っていたのに、入ってみると輝くどころか、どんどん暗く閉じていく自分がいた。そんな惨めな経験を繰り返して、自分の期待の見当違いぶりに気付いた。
「自分の知らない幸せ」は永遠にある
先日、幼馴染の友人とお茶をしていると、友人がぽつりと言った。
「私は他人が自分の知らない幸せを噛み締めていると思うと、辛くて仕方ないんだ」と。
友人は異性と付き合ったことはないし、処女である。分かる。私もかつてそう感じていた。でも、過去形は上から目線な気がして、うまく返答出来なかった。ただ、“自分の知らない幸せ”って永遠に消えないんじゃないだろうか。誰も全てを経験することはできないからだ。意識のある何十年かの間、自分の身体を使って、一つの人生を経験していくしかないのだ。それは素晴らしいことでもあり、とても怖いことでもある。
恋愛に関わりもなかった頃、私は幸せではなかっただろうか?
確かに恋愛経験がない、というコンプレックスにがんじがらめになって、現実が全てくすんで見えていた時期もあった。振り返れば、楽しかったこともあったのに。でも、苦しんでいる本人に何を言っても無駄だ。不登校の子どもに、大人になれば今悩んでいることはくだらなくなるよ、と言うようなものだ。本人の今の苦しみは本人だけのもので、だからこそ苦しみには価値があると思うのだ。
ただ言えるのは、恋愛経験が少ないことや、処女であること、異性から求められないことを恥じる必要は一切ない。そんなことを気にするような人はこちらから願い下げでいい。くだらないことを気にする空気が世間に浸透しているうちは辛いと思う。
でも、恋愛以外に素敵なことも想像以上にたくさんある。それでも恋愛に期待を寄せるなら、勇気を出して人がいる場所に出て行くしかない。彼氏がいる友人に嫉妬しすぎて泣いていた高校生の自分に言ってあげたい。聞かないとは思うけど。
あれが足りない、これが足りない…絶え間なく頭に入り込む
自分に自信をなくさせているものは何なのか?
普通に暮らしているだけで、たくさんの広告やニュースや他人が、あなたにはこれが足りませんと忠告してくるように感じる。
全身脱毛が足りません。英語力が足りません。恋人が足りません。女の子らしさが足りません。反省が足りません。
そういった忠告は意図的に遮断しないと、絶え間なく頭に入り込んできて、私にはそれが耐えられない。自分が納得できる時間の使い方を考えることが必要だ。それを続けていけば、自分の幸せが見つかるんじゃないかと期待している。
未来の女の子たちには、他人の基準に振り回されないでほしい。自分の基準を掘り当ててほしい。振り回され続けた私の、現在出せる精一杯の結論だ。
ペンネーム:みとこん
24歳フリーター。
会社を辞めて以来、働く意欲が減る一方。甘いものが好きすぎて、虫歯は増加する一方。Netflixのマインドハンターが最高です
10月11日は国際ガールズ・デー
「女の子らしく」「女の子なんだから」……小さな頃から女性が受けてきたさまざまな社会的制約。ジェンダーに関わらず、生きやすい社会を実現していこうと、「かがみよかがみ」では、10月11日の国際ガールズ・デーにあわせ、「#5年後の女の子たちへ」をテーマとしたエッセイを募集しました。