大のBL好きであった。もちろん今も好きだが、その比じゃない。
中学2年で国語の授業で読んだ小説がBLにしか思えなくて、漫画研究部の仲間が書いてくれた漫画やイラストをもとにさらに妄想を膨らませていったのは最高に黒歴史だ。その小説の名前もしっかり覚えてる(調べたら教育テレビでドラマ化されている青春小説だった、色々恥ずかしい)。
BLに描かれる恋愛に強い絆を感じた
なぜそんなに好きになったのか。
元々は少年漫画が好きだった。雑誌の「りぼん」も「なかよし」も「ちゃお」も読んだけど最後にたどり着いたのはバトル漫画だった。そもそも恋愛系の漫画があまり好きじゃなかった。「少女漫画の恋愛系の作品」で読んだものはほぼ記憶にない。かろうじて記憶にあるのは友情系や、ギャグ系の漫画ばかり。
小学生の頃から男性が女性に対して向ける好意の視線を受け付けなかったようだ。漫画でも、リアルでも、その先に「何か」を求めている肉欲的な男性の視線を無意識に感じ、考えてしまっていたのだろうな、と今は思う。
一方で男性同士の友情が描かれる漫画はとても好感がもてた。同性同士の強い絆を感じるし、その先にある「恋愛」には強い説得力があるのだ、と当時ゲイセクシャルについて知らなかった私は感じた。
BL漫画に描かれる恋愛に、なぜか異性の恋愛以上の強い絆を感じていたのだ。
私は中高6年間女子高で過ごしていた。
「おもしろい」が誉め言葉。
おそらく半分くらいの生徒が恋愛の「れ」の字もしたことがなかったと思う。もちろん私も。その中で大きな声で発言をし、変なことをしてみんなを笑わせるのが私の演じるキャラクターだった。自分のキャラクターが邪魔したせいか、クラスメイトが回し読みしている少女漫画や恋愛漫画を、なんだか読む気がしなかった。誰かと付き合ったことがないからこそ空想の世界に存在するイケメンキャラにときめいてはしゃぐのが恥ずかしかった。「こういう女は存在しない」と頭の中で冷静にツッ込むのは、恋愛になっていきなり女の顔を覗かせる女が許せなくて、怖かったから。
BLはそんな私にとっての唯一の恋愛漫画だった
「やっぱり腐女子だもんね」にもやもや
たとえ、ありえないようなファンタジーであったとしても、<女という性が介在しない世界>で繰り広げられる男性同士の恋愛は純粋に、俯瞰で楽しめた。お手本にはできない。それでも、楽しかった。
仲間たちと妄想話を繰り広げる時間が、たまらなく好きだった。
でも絶対に言えなかった。
10年前ではBL好きな人々の特集と言えば、世の中にはこんな性癖があってね~変ですよね~としてテレビ番組で扱われていたように思う。それを見るたびに、母親から「腐女子じゃないわよね…?」と念を押されていた。だから口が裂けても言えなかった。
大学に入ってBLを読むというと、周りからは「え?〇〇と〇〇のこともそうみてるの?」だとか、筋骨隆々な男性のインスタグラムをフォローしているだけで「やっぱり腐女子だもんね」とか、言われた。BLが好きな事を何でもかんでも結びつけてつついて来る人々のデリカシーのない言葉。
相手は軽い気持ちでも、その度に心の中はもやもやで一杯になる。「腐女子」という言葉の中に<女子高育ちでまともに恋愛をしたことがないやつ><彼氏いなくて男女の恋愛を楽しめなくなった腐ってしまったやつ>のレッテルを張られたような気分になった。
長い間彼氏がいないことのコンプレックスも大きかった分、自分の趣味がより一層恥ずかしいものに感じていた。
今は、コミックマーケットも毎年ニュースで取り上げられ、夏の一大フェスみたいな扱いになっているし、セクシャリティや趣味趣向についての受容もかなりある世の中になったのではないかと思う。
私自身もいまだに思い切りは言えないものの、男性同士で親密な様子をみて妄想を膨らませた、なんて話を振ってみると、世代を超えてピンポイントに食いついてくれる人達が意外といることを知った(この前もそれで歳の離れたゼミの先輩とも打ち解けられた!)。
BL好きは少女漫画好きと肩を並べることができる。最早、BL好きに変な偏見を持つ奴の方がダサいくらいの気持ちで何ら問題がないのだ。
世の中には色んな人がいて色んな趣味趣向がある。
自分の趣味趣向に関して他人に好奇の視線を送られて、興味もないくせに色々ほじくり返されたら誰だって嫌。だから言わない。それもしよし。公言する必要はないが、好きなものを好きと言えない世の中は、悲しいなあと私は思う。
もう少しだけ、寛容で偏見のない世の中になりますように。
ペンネーム:chika
しがない大学院生。旅行中に友達のキャリーケースにパンツを落としました。最近金属バットという芸人が好き。いんごすんごすん。