作家・本谷有希子さんが著した「生きてるだけで、愛。」(新潮文庫)という作品の主人公の言葉の中でこんなセリフがある。

「あんたが別れたかったら別れてもいいけど、あたしはさ、あたしとは別れられないんだよね一生。うちの母親は今でもたぶん雨降ったら寝てると思うし、あたしだってこんなふうに生まれちゃったんだから死ぬまでずっとこんな感じで、それはもうあきらめるしかないんだよね?あきらめなきゃ駄目なんだよね?いいなあ津奈木。あたしと別れられて、いいなあ」

『生きてるだけで、愛。』(本谷有希子/新潮文庫

鬱状態でアルバイトもままならない主人公の寧子が、住んでいるマンションの屋上で真っ裸の状態になり同棲相手である津奈木に放った一言である。これだけ聞いて常軌を逸している行動だと思えばそれはそれで終わりなのだが、私はパンチを食らったような気分で、これなんだよなぁ……と作品を読んだ後もじわじわと悶え続けていたのだった。

「私は私のままで良い」と思えなかった

去年の初め、私は新卒で入社した会社を休職した。その前から、だんだんと休みがちになり、思うように体が動かなくなった。病院での診断は「適応障害」だった。これは、何かしらのストレス要因があって日常生活に影響を及ぼしている状態のことを言うらしい。私にとってこのストレス要因とは、仕事のことやプライベートでの人間関係など、同じタイミングで多くのことが重なったことだった。治療の一環でカウンセリングを受けていたのだが、なぜこんな状態になっているのか自分でも薄々気づいていた。

それは、「私は私のままで良いのだと自分を肯定できる気持ちが他人より低い」ということだった。

「心配させんで」と言われ続け

私は長年母親との折り合いが悪いことを悩み続けてきた。
東京で仕事を辞めたことも自分からは言えず、結局福岡の実家に帰った際にバレてしまった。隠すぐらいなら本当のことを言えと迫られ、私は困って自白した。

それから、事あるごとに「なんであんたはそうなるんかねぇ。心配させんで」と言われ続けた。それは昔からの彼女の口癖だった。心配だと言われれば言われるほど、私は信頼されていないのだと感じていた。いつしか、その二文字は暴力となり、私の頭の中でリフレインし続けた。

親族の前でさえ、仕事を辞めたという事実はひた隠しにされた。
私は嘘をつきたくないと言ったが、母は「余計なことを言うな」の一点張りだった。それは、彼女にとって心配の種であり、体裁を邪魔する余計なことのようだった。

久しぶりに会った従姉妹たちにはそれぞれ子どもができていた。喜びも束の間、その子どもたちを眺めながら母親が言った。「ここは子孫繁栄の家庭やけど、うちはそうじゃないけんね」。それを聞いた叔母は、「早く良い報告があると良いね」と穏やかな顔をして話していた。私はひとり胸の内が冷えていくのを感じつつ、「まだ分かりません」と静かな声で呟いた。私自身の存在が、母親に劣等感を与えているように思えた。

私は私のままでは足りないらしい、ということを知った。いや、ずっと幼いころから知っていた。私は私じゃダメなのだと、自然といつも心のどこかで思っていた。でも、今まで自信を持てることがひとつもなかったわけではない。ただ、その自信を削いでやろうと襲ってくる日常の魔力の方が強かった。いつしか、私は家族を”血のつながった他人”だと捉えるようになった。結局のところ他人だと思えば、少し気が楽になる気がした。

今まで自分を辞めたいと思ったことが幾度あっただろうか。
しかし、積もり積もった劣等感を掘り返す中で気づいたのは、それはいつも他人から押し付けられたものだったのではないか、ということである。仕事を休職したことや退職したこと、病気になったこと、結婚していないこと、子どもを産んでいないこと、そういった単なる事実や私自身による選択を、誰かと比べて劣っていると思わせられていたように感じる。その証に、身近な母親からかけられ続けた心無い言葉や態度は、いつしか私の自信を奪っていき、呪いをかけてしまった。でも、その刷り込まれた呪いはフェイクであり、私がその呪縛に囚われる必要はないのだ。

私は私と別れられないし、別れる必要もない。私が私を取り戻すことさえできれば、それで十分なのだ。

ペンネーム:Chihiro

福岡県出身。IT企業に約4年半勤務の後、退職。音楽や映画、物語が好き。なによりも歌うことが好き。主に、社会への違和感をベースに言葉にしています。
Twitter:@chihi3109