異性としてみられることが苦痛。「私」を見てほしい

いつからか分からない。私は「私が女である」ということを実感させられるのがひどく苦痛になった。中学生くらいまで異性の友達は人並みにいたと思う。しかし最近では連絡先に異性の名前は殆ど見られない。なにか苦痛なことがあればその名前をスワイプして非表示にしてしまう。
その苦痛なこと。例えば、お酒を飲みすぎて終電を逃した男女2人。
私は朝までカラオケで時間をつぶすねと言うと「ホテルで休んで行こうよ」とさっきまで男友達だった彼は言った。
足元はふらついていたけど、頭はハッキリとしていて血の気がさっと引いていくのがわかった。「私は行かないよ」と断った。彼も終電がない状況だったので、結局二人でカラオケで過ごした。さっきの会話があったから、なるべく気を逸らしながら過ごしていたけど、私の膝に彼の頭が乗ってきた瞬間、とても冷たい声で「やめてくれないかな」と言っている自分がいた。その時の絶望もきっと忘れることが出来ない。
私にとってそれは悔しい気持ちなのか、性別を感じさせられて不快だったのか分からないけど、始発の電車でひどく辛い気持ちになった。あぁ私はしょせん、友情も築けない「女」というカテゴリーの存在だったんだと。人間であることより先に優先されるものがあるのかと。お酒を飲んでいたということもあって、多少仕方のないところがあったと思う。でも私は鮮明にその違和感を覚えている。
かといって好きな人や恋人ができないということではなくて、年単位だけど突然誰かに惹かれたりもするし、好きな相手であればセックスもする。性に対してオープンだし楽観的であると思う。
私が気を許す異性は私を露骨に女性扱いしないし、男性として過剰に好かれようとしない。たとえ隠しているとしてもそれだけで私は安心する。人間として見てくれているという、あくまで主観的で不確実な要素だけで私の不安は消えて無くなる。だが、その距離感は人それぞれで、見えないその尺度を測ることはかなり難しいことも理屈として分かる。さらに恋愛ともなれば更に難しい。男性には男性のコミュニティで培った、独特の意識があったりするし、それも実際興味深いところだ。
だが「男と夜に二人きりになった女が悪いよ」「女扱いされるのは得じゃない?」とかまるで訳知り顔で言われることが、女性の中でも当たり前になっていないだろうか?「そっか、仕方ないか」「女として見られることはありがたいことか」とどこかで無理やり納得させて心をすり減らしていないだろうか?そしてその風評被害を受けている男性が「男ってこれだから...」と女性から虐げられたりしているのではないだろうか?とても生きづらい。
男性が悪いとか女性が悪いとか、どっちに問題があるかという問題ではなくて。異性を理解できなくても相手を少し思いやったり、自分本位にならないこと。もし性の悩みがあって苦しんでいる人がいたら「あなたにも原因があったんじゃない?」と問いただしたい気持ちになることもあるだろうけど、そうせずにいて欲しいと思う。そして異性として見られていることを苦痛と感じる少数の人間がいることも、頭の片隅においてもらえたらと思う。
私は今日も思う。だれか「私」を見てくれないだろうか。まだまだ人間としては魅力が足りない、浅はかな人間かもしれないけれど。女性としての私ではなくて、人としての私を。性別は私を苦しめるものなの?もっと豊かに性別という概念が存在したらいいな。
ペンネーム:釜
1995年生まれ。映画観賞、歌、観劇、美容が趣味。美しいものについて常に考え続けています。
Twitter:@qolko
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