引越前夜。私の部屋の備えつけの電子レンジを開けた後輩は発狂した。
「これこのまま返す気ですか」
電子レンジのなかは汚かった。飛び散った、醤油、ソース、その他何だかよくわからないもの。壁から天井まで血しぶきのように飛び散っていた。
私の大学4年間の生活の痕跡が、そこにはあった。
なんてちょっとノスタルジーに浸っている場合ではない。かわいい後輩が発狂しちゃったのだ。引越を手伝いに来てくれたのに。
発狂した後輩は洗剤を1本半使い、電子レンジのなかを掃除してくれた。
掃除しながら後輩はこの汚さに呆れ、驚き、そして何度でも絶望した。

ハイターが何でも解決してくれると思っていた

「何でもハイターをかければいいと思っていた」
私は平然とそう言った。ハイターが何でも解決してくれると思っていた。まあハイターをかけることもしていなかったわけだが。後でまとめてハイターをかければ汚れは嘘のように落ちると信じていたのだ。
後輩は絶句した。

私の生活力は低い。ゴミ出しは最低限しているからTVに映るゴミ屋敷を作りだしたりはしないけれど、掃除をしないのだ。具体的に言うと、掃除機をかけない、クイックルワイパーもしない、雑巾がけもしない。
目が悪いので、埃やゴミに気づきにくい。その上気づいても気にしない。
こうして埃やゴミが部屋に溜まっていく。
当然水回りなんかも汚い。でも何とか生活できる。そんな状態だ。人によっては「こんなところで生活しているなんて信じられない!」と発狂するだろう。私の部屋のことをふざけて発狂アイテムなんて呼んだりもしている。
もはやダメ人間の極みである。
泊めた友人が発狂して、部屋の掃除を始めるのは私のなかの常識になりつつあった。それくらい、私の部屋は汚かったのだ。
本に埋もれていて、服に埋もれていて、埃とゴミが溜まっている。そんな部屋だった。

きれいな部屋に住みたい、だけどその努力はしていない

私だってきれいな部屋で過ごしたい。どの口が言うかと思われそうだが、きれいな部屋と汚い部屋なら前者がいいに決まっている。TVできれいな部屋が映されたりするとああ、いいなあと思うのだ。羨ましくなる。
でもダメだった。1週間に一度、掃除機をかけると決めても疲れきって面倒くさがりの私は「この1週間も大丈夫だったから来週も大丈夫」と先送りにする。
私の「きれいな部屋に住みたいな」は、願いでしかないのだった。具体的に言うと、「空を自由に飛びたいな」くらい現実味のない話。空を自由に飛ぶ努力はしていないし、具体的な方法も思いつかない。
つまり、きれいな部屋に住むための努力を何もしていないのだった。

きれいな部屋に住むための努力。整理整頓に、定期的な清掃。そういうことが、私にはできないのだった。実家に住んでいた頃、当番の風呂掃除はできた。言われれば掃除機をかけもした。嫌々だったけれどやるにはやった。
しかし、今はやらないしできない。年末に大掃除もしない。そもそも汚れているという危機感が薄い。そして掃除をしないと床も水回りも汚くなるのだという事実をあまり実感していない。数ヶ月に一度、唐突に掃除しなきゃモードになるときがあるのだが、キッチンを掃除しただけで疲れ果てて終わりになる。

気にならないものは気にならない

掃除をするという当たり前のことが、どうしてか私にはできない。皆できているのに、何故かできない。
何で、どうして、と悩んだ時期もあった。皆当たり前に掃除をしているのに、と自分を責めることもあった。
しかし気にならないものは気にならないし、やる気にならないものはやる気にならないのだ。そういうことができない人というのはきっといる。
できないことは仕方ないのだと思うようになった。生活力がなくて、ダメ人間を極めていても、現代社会ならハウスキーピングもあるしどうにか暮らしていける。それに死ななきゃ案外何とかなる。

ペンネーム:雁屋優。

アルビノのライター。セクシャルマイノリティについても記事を書く。問題提起だけではなく、アルビノの現実を発信していきたい。趣味は読書と一人旅。京都が好きで何度も訪れている。
Twitter:@yukariya07