人生を変えた一冊、というものがあるのだとすれば、私は間違いなく、この本を選びます。雨宮まみさんの「女子をこじらせて」です。今から2年半ほど前に読んだこの一冊が、私を「美人」に、そして「ライター」にしてくれました。周りの女の子たちとは違うという自意識に苛まれ、嘆き苦しんでいた私を引き揚げてくれた本です。

まみさんのような書き手になれたのなら

この本が、読み手として救われる本であることは、多くの方々の知るところであると思います。もちろん私もそうした読者の一人でした。

しかし私はそれと同時に、僭越ながら、まみさんのような書き手になれたのなら、と夢を見てしまいました。

私の生きる世界は、ここにあるかもしれない。文章を書いたら、それを誰かが読んでくれたら。どうしようもなくピエロのようにキワモノとしてヘラヘラとふるまっている、その内側に渦巻いている果てしない自意識を表に出せたのだとしたら。もっと違う自分になれるかもしれないと思いました。外身の自分と、中にいる自分の折り合いがつかず、悶々としていた私が、「こういうことを考えています」と、宣言できたとしたら、人生が変わる気がしました。

「この思いを説明したい」それが私の原動力になった

誰にも理解されないと隅で泣いている暇があるなら、一から説明するしかない。

「こんな生き方をしてきました。生きづらいながらも、工夫をして、戦って、でも、こういう風にしか青春時代を過ごせませんでした」

それを書けたとしたら、面白いかもしれない。誰かに伝わるかもしれない。それが私の書く原動力になりました。まみさんから影響を受けて始めたことです。

高校生のまみさんが、父親に「お前の下着は自分で洗え」と言われた時の一節があります。

お前の娘はな、お前はどう思っているか知らんが、夜道に人気のない道路にほっぽりだしておいても、誰も襲わないようなそんな容姿の女なんだよ、そんな女が女らしいとか恥じらいとか関係あるか!お前の娘の下着なんて、誰も盗まない、誰も価値を感じない、ブルセラショップでも絶対に売れない、そんなゴミみたいなもんなんだよ、それを自分で洗えとか何言ってんの?こんなゴミみたいなもん、誰が洗おうがどうでもいいじゃん。洗濯機だし!(中略)なんか、情けなくて情けなくて涙が止まらなかった。

『女子をこじらせて』(雨宮まみ/ポット出版)

痛いほどに惨めで女としての自分の価値のなさに絶望している様子が、ひしひしと伝わってきました。私も思春期の頃同じようなことを思って過ごしていました。自分の女としての市場価値のなさに絶望していたのです。
女としての自信が無さすぎるあまり、親友の彼氏に迫られたのがうれしくて、その彼と初体験をした話も、書いてありました。

明け方になってようやくなんとかなって、電車が動き出した頃に一人で駅まで歩いて、遮断機のカンカンカンという音を聞いているときに、とてつもない解放感に襲われました。自分の意志で、初めて男の人と触れ合った。そのことがとても嬉しかったのです。21歳でした。 後悔する気持ちはありませんでした。やっと、やっと人と触れ合えた、誰にも触れられずに死んでいく人生にならずに済んだ。自分だって、男の人と二人きりで会ったり、寝たりできるんだと、ものすごい喜びでいっぱいでした。

『女子をこじらせて』(雨宮まみ/ポット出版)

してきたことは、許されないというのもわかります。でも、それほど私がこの行為を非難できないのは、その切実さがよくわかるからです。痛いほどに伝わってくるからです。
大学受験のために上京し、ホテルに滞在している際、ペイチャンネルでAVを見てオナニーをしまくった挙句、受験に失敗したエピソードも書いてありました。

書くことは精神的ストリッパー

こんなことまで書けるのか、と思いました。そして同時に、こんなことが読めるからこそ、読み手側は読む意味があるのだということに気が付かされます。読み手側は、なにか他では出会えないこと、他の人が見せてくれないものを見せてくれるのを期待して、文章を読むのです。だから、書き手の姿勢として、他の人が脱がない部分まで脱ぐ、というのは重要なことになってきます。

書くということは、精神的なストリッパーであることに近いと気づきました。みじめなことも、恥ずかしいことも、黒歴史も、どうしようもないことも、読者の分まで裸になって書くことが著者の役割なのです。

よく、自分が心を開いた分だけ相手も開いてくれるといいますが、文章においてもそれは同じで、書き手が開いた分読み手も開いてくれるのだと私は思っています。読み手を開かせることこそが、書き手の力なのです。まみさんが教えてくれました。

ライターだと名乗ったら「ライター」になれる

まみさんが教えてくれたことがもう一つあります。

ライターに「なる」のに必要なのは、仕事なんかなくても「ライター」だと堂々と名刺に刷る、そのずうずうしさだけだと、今も私は思っています。名乗ったもの勝ちなのです。

『女子をこじらせて』(雨宮まみ/ポット出版)

私は今日も、ずうずうしくもライターと名乗って、これを書いています。大切な本を「大切です」と言える機会と場が、ライターとして与えられた。これほどうれしいことはありません。夢のようです。

書くことは、むき出しになること。

まみさんが見せてくれた姿が、私の血肉になっています。

ペンネーム:美人

1996年生まれ。ガサツさに女子としての負い目を感じており、美人になりたい、という願いを込めてペンネームをつける。こじらせや日々の気づきを綴る「美人ブログ」を運営。恥ずかしい過去は書いて供養する、がモットー。