「男のいない寂しい青春だったんだね」

なんでそういう話になったのかいまでは全く思い出せないが、そう言われたことは鮮明に覚えている。

「そんなことないよ」と言うのはとても簡単だったと思う。けれど、きっとそれは、そう言ってきた相手には負け惜しみにしか聞こえないだろう、と思ったので、「部活が恋人だったからね」と笑って流した。

男、つまり、彼氏やそれに準ずるようなよく遊ぶ男友達がいない青春を「寂しい」と言う。

私の青春の6年間は女子校で過ごした

私は中学受験をして私立の中高一貫の女子校に入り、女子校で6年間を過ごした。学校の中にいるだけだと同世代の人間とは女としかふれあうことができない。

ただ、どこのコミュニティにも出会いや恋愛に積極的な子というのはいるもので、男子校の文化祭によく行く子だったり、外でバンドを組んでライブハウスで他校とライブをする子だったり、塾で他校の人と仲良くなる子だったりと、恋愛に結びつくかは別として、異性との関わりを持つ子というのは一定数いた。

ただ、私はそういう出会いへの積極性は特になかった。というより、そういう積極性を出す余裕がなかった。

「部活が恋人」…常に部活のことを考えていた

私は当時、ホールでコンサートをやるような音楽系の部活に入っていた。

「部活が恋人」というのはあながち間違いでもなくて、週3回の放課後の練習に加えて、朝練や昼練もしていた。高2のときはほとんど毎日部活のことをしていたし、数学や物理の授業中も部活のことを考えていた。

部活では顧問は指導をせず、大学生のコーチも月1くらいで合奏を見てくれるだけだったので、基本的に生徒だけで運営していた。吹奏楽や純然たるオーケストラでもなかった私たちは、市販の楽譜を自分たちで編曲したり、作曲家本人にアレンジをお願いしたり、練習以外のことも結構やっていた。

部活の最高学年の高2の時、私は部活でパートリーダーをしていて、十何人かいるパートの後輩の練習指導で毎回練習ごとにそれぞれに練習の記録を書き、自分のソロもきちんとやるために外で教室にも通った。

国立の大学を目指していたので、中3の中だるみを取り戻すべく、週3で大学受験塾にも通った。相変わらず物理も数学も好きにはなれなかったし、部活のことを内職でやっていたけど、最低限の点数は取れるようにしていた。

人間関係だって四六時中穏やかなわけじゃなかった。
幸い部活の同期の仲はわりとよかったけれど、それでも不満は溜まるし、後輩の部活へのモチベーションの違いは演奏に如実に出てくるし、先生と揉める子もいた。
なんとなくいつもメンタルが安定して見えることが多い私は調整役になるようなことも多かった。

部活も勉強も友人も全部ちゃんとしたかった

そんな調子なので、外で異性の友人を作ったり恋人を作ったりする余裕はなかったし、きっと作ったとしたら恋人の方をおろそかにするか、破綻するかしていただろうと思う。恋人なんていなくても、やることは山のようにあった。

部活も勉強も友人関係もちゃんと全部をちゃんとしたい私は、全部のことを自分で抱え込んでしまうことが多くて、にっちもさっちもいかなくなってしんどくなった結果、模試をサボってしまう、なんてこともあった。

でも、それだけ、私の毎日は充実していた。
もちろん部活でも、つらかったり、苦しかったりすることもたくさんあった。でも、私にとってはそれを補ってあまりある濃い時間だった。

私はなんといっても、部活の大変だった全部が報われる、文化祭の舞台の幕が開く瞬間が、大好きだったのだ。

もちろん、私も一応華の女子高生だったわけで、恋愛に憧れがなかったかといえば決してそんなことはない。ただ、仮に誰かと付き合ったとして、あの部活よりも濃い時間をくれた人はきっといなかったと思う。

青春には恋愛が絡みやすい

「青春」と「恋愛」は同一視されやすい。
青春群像劇、や、青春映画、といったものにはたいてい恋愛事情が絡む。
だから「男のいない寂しい青春だったんだね」という発言が生まれたのだろう。

私は「そうだ」と言うのも、「そんなことはない」と言うのもなにか違うような気がしている。恋愛に捧げるのも青春だし、部活に明け暮れるのも青春だったと思う。

女子高を卒業した後、大学生になって彼氏ができた。
高校時代の恋愛経験のなさは、大学に入ってから恋愛の機微のわからなさとしてあらわになったけれど、そのときはそこまで重く受け止めていなかった。

でも、大学も3年目にもなると就活や、その先のことを考え始める。
そんなとき、いま付き合っている人とずっといるのか?という疑問が生まれた。相手のことを好きか嫌いかだけじゃなくて、「この先自分がどう生きていきたいか」が「誰と一緒にいるか、いないか」に繋がってくるのを感じた。

高校生の間はただただ好きな人と好きなように付き合っていられる限られた時間なのかもしれない、と思ったときに、高校生の恋愛をしておきたかったな、と初めて思った。

ただ、私たちはどうしても無いものねだりをしてしまう。
「恋愛のない寂しい青春」と言う人は、部活に熱中した思い出をうらやましく感じていたのではないかな、と思う。
こう思うことで私は私を救いたいだけなのかもしれないが、私は、部活に捧げた青春も、恋愛に捧げた青春も肯定したいのである。

ペンネーム:高橋ツグミ

下町生まれ、女子校育ち。舞台とアニメとマンガが好き。
Twitter:@takamaruko23