大学生のある日、恋や性欲が理解できない話を友人にした。それは告白への返事でもあった。
「友達だと思っているけどそういう風には見られないし私には多分恋愛感情がないんだと思う」
告白の断り方としてそれがよかったのか悪かったのかはわからない。でも友人はそんな私を好きでい続けると言ってくれた。その言葉に、私がどれだけ救われたか、友人は多分知らない。

小学校も高学年になると、女の子という生き物は誰がかっこいいとか優しいとか言い始める。恋バナである。私は誰のこともいいと思ったことがなかった。男子なんてうるさくて騒がしくて猿みたい。それのどこがかっこいいとか優しいというのだろうと当時の私は疑問でならなかった。

恋バナは当然のように男女の恋愛を語り、少女漫画も男女の恋愛を語る。「中学生になったら彼氏が欲しいな」とか言う女子に囲まれ、親も男女の恋愛を意識させるようなことを言う。"男女で恋愛をするもの"という価値観が小さい私を取り囲んでいた。

"そうか、男と恋愛しなければならないのか"

そう思って、誰かを好きになろうとしてみたけどダメだった。男子の誰も魅力的には映らないのだ。うるさくて、騒がしくて、乱暴でしかない男子。どこに好きになれる要素があるというのだろう。当時の私は男性のどこも魅力的に思えなかった。

自分は女の子を好きになるのかも?

高校に入った頃には、"自分は男子ではなく女の子を好きになるのかもしれない"と考えるようになった。ある日出会ったとても綺麗な先輩に惹かれ、何とかして近づき、一緒にお弁当を食べたり、出かけたり、いろんなことをした。手を繋いで歩いたりもした。楽しかった。これ以上ないほどに、楽しかったのだ。でも、ドキドキはしなかった。少女漫画で読んだような心の動きは、自分のなかにはまったくなかった。楽しかったけれども、ときめいてはいなかった。部活も委員会も違い、何の共通点もない先輩にどうにか話題を作って話しかけ、好意を隠しもしなかったのに、それは恋ではなかったのだ。恋ではなかった。

先輩と手を繋いで歩くのも、話をするのも、どこかへ出かけるのも全部楽しかったのに、恋しているそれに近いと周りには見えたそれは、恋ではなかった。

"私は、何なんだろう"と思いながら大学生になった。その先輩とは卒業を機に"友人"になった。

「女は男と結ばれるべき」というメッセージへの違和感

大学生になって、私にとある友人ができた。この友人はセクシャルマイノリティについて勉強していた。友人と話していくと、男と女の恋愛だけでないことやさまざまな性の形があることを知った。そしてその会話のなかで私には性欲がないことに気づいた。他の人にはあるらしい、"したい"という気持ちが私にはない。"別にしなくてもいいんじゃない? したいとも思わない"といった感じだ。他の人に聞くと"しないと物足りない"らしいのだけど、私にはその"物足りなさ"がわからない。自分の感覚にその"物足りなさ"はない。

食欲、睡眠欲と並んで三大欲求と呼ばれる性欲だが、極論、しなくても死なない。なのに何故、あって当然のように扱われ、それは男女間で向けあうものとされるのか。私は"性欲"も"恋愛"も理解できなかった。

"恋愛"がわからなくても、"性欲"がわからなくても、全然問題ないのだと友人は言った。そういう人もいて、私はそうなのだと。

救われた気がした。

恋愛系メディアに雑誌にTV、さまざまなものが"男と女の恋愛"を前提に作られている。そこには男ウケやモテといった言葉が並んでいる。"女は男に好かれる努力をすべきであり、男と結ばれるべき"というメッセージは常時シャワーのように私達に降り注いでいる。

私が性欲もなく恋愛しないことに気づくまで迷走してきたように、"普通"の恋愛をしていない、できないと悩む人もいるかもしれない。だけど、"普通"の恋愛じゃなくたっていいんだよ。恋愛しなくたって、いいんだよ。心のままに行きたいところに行けばいいんだよ。同じように悩んでいる人に、そう伝えたい。