気がついたら、怒るのが苦手になっていた。 いや、「怒っちゃいけない」そう思っていたのだ。怒るのはみっともないことで、嫌な気持ちは流してこそ立派な大人であるのだと。
例えば、男の子の友達にセクハラ発言をされたとき。
「沙波ちゃんがベリーダンスの衣装着て踊ってくれたら、俺通うんだけどなぁ」
「沙波ちゃんにはぜひ医学の実技の実験台になってほしいなぁ」
うわ、きた、と嫌悪感が身体中を這い上がってくるのだけれど、こちらを嫌な気持ちにしようとして言ったわけじゃないのだから、その場のノリ、と言い聞かせて笑って受け流す。ジョーク、単なるジョークなのだから。
例えば、大学名とか恋愛経験で、マウンティングに遭ったとき。一瞬苛立って、対抗してやりたいと思うのだけど、話してもわからないだろうという諦念が立ち上り、そしてやはり相手の顔色をうかがって笑って流してしまう。
例えば、「女の子だから」とステレオタイプを押し付けられたとき。そうか、女の子なのにこんなこともできないわたしが悪いのか、と自虐でその場をやり過ごす。
そうやって、うまく怒れずに自分をきちんと肯定できない日々は、わたしの心を少しずつすり減らしていった。
というか、気がつけないのだ。言われたその瞬間には、自分の感情が「怒り」であるということに。嫌悪感、苛立ち、違和感、その場のノリ……それらに埋もれて、わたしは自分の中の怒りを見失う。行き場を失った怒りは、静かにわたしのなかに澱となって溜まってゆく。ひとりでいるときにそのときの違和感について延々と考えて、あのときわたしは怒っていたのか、とようやく気がつく。しかしそのときにはひとりだから、相手に自分の怒りを伝えることができない。
「怒っちゃいけない」と思っていたら怒れなくなっていた
「怒る」という言葉に、ネガティブなイメージが付随しやすいなのは、なんでだろう。「怒る」のは、短気やヒステリーなど、マイナスイメージを持つ言葉にすぐ結びつく。そもそも日本では、「感情を素直に表現すること」そのものを恥として考えている人も多いと感じる。とにかく笑顔で、仮面をかぶって、みんなと均一であれ。だからわたしは、「怒っちゃいけない」ずっとそう言い聞かせて生きてきた。それがいまのわたしの怒れない癖に繋がっているように思う。
でも本当に、怒ることは恥ずかしいことなのだろうか?
スイスに留学していたときに、国全体で行われていた女性の権利向上のデモに参加した。参加者はみんな「世界中の女性の連帯を!」という合言葉とともに、それぞれの意見を書いたプラカードを掲げ、堂々と街中を闊歩していた。
みんな、怒っていた。
「女だから」それだけの理由で、行動が制限されてしまったり、不当な評価をされてしまったり、ステレオタイプを押し付けられたりすることに。でも、笑顔だった。参加者の誰もが輝いていた。それがわたしには衝撃だった。こんなにも健やかに怒りを表明することができるのか、ということが。だって、わたしにとっては「怒ること」は「激しく叫ぶこと」と同義で、それはもっとドロドロとした姿を持っていたから。
「怒る」ことは、丁寧にNO!と相手に伝えること
そして気がついたのは、怒りというのは感情でしかなくて、それをどう発現させるかはまた別の問題だ、ということだ。わたしはずっと、「怒る」ことと「感情に身を任せて騒ぎ立てる」ことを混同していたのだろう。
「怒る」ことは、むやみやたらに騒ぎ立てることでは全くなくて、丁寧にNO!と相手に伝えることなのだ、きちんと自分が自分らしく生きていくために。だから、「怒る」ことは、人同士がコミュニケーションを重ねていく上で欠かせないことだと思う。人同士は異なる存在だから、どんなに想像したところで相手が嫌だと思うポイントはわかりきれない。そこで嫌だったことをきちんと嫌だったと伝えることは、人間同士を円滑に繋ぐための潤滑油のような役割を果たすものなのではないか。わたしとあなたの世界を、少しずつ深めて温めていくための。
わたしはもう、怒らないのをやめる。自分が何を嫌だと思い、なぜ嫌だと思うのか。それをきちんと考え、分析し、言語化し、あなたに伝え、あなたの怒りにもきちんと耳を傾けたい。地雷のたくさん転がる世の中で、自分が、あなたが、少しでも傷つかずに生きていけるように。そして、理不尽で生きづらい社会の中で、わたしとあなたが自分を肯定して生きていけるように。
とは言えど、まだ具体的に自分の嫌な気持ちを伝えられたことはない。それでも、笑って受け流したりはしなくなった。黙ってちょっと嫌そうな空気を発したり、「わたしはそうは思わないけどなぁ…」と、語尾を濁しつつも同意しないということは伝えられるくらいになった。相手に「よくないことを言ったか」と気づかせるきっかけを作るくらいには進めるようになった。
「結婚はできなきゃダメだよね」と語る女友達の前で。#MeToo運動を「ウケる」と笑い飛ばす友人の前で。暑い日に薄着で歩き回るヨーロッパの女性たちについて、「見たいなぁ」と顔をにやつかせた男の子に対して。これからも多分、うんざりするほどそういった発言には巡り会うのだろう。しかし、これから少しずつ伝える術を覚えて、嫌だという気持ちを丁寧に分かち合って、わたしの周りだけでも、発言に傷つく人が少しでも減ったらいいなと思っている。
ペンネーム:沙波 Sawa
フランス語と文学理論を学ぶ大学生。7月までスイスのジュネーヴに留学していました。本と映画と美術館とミュージカルが好き。「人生はビスケットの缶」がモットー。
Twitter : @sawawa_ch7