何も持っていないと気が付いたのは、高校入学して、間もなくのことであった。
小中と、自分で言っちゃなんだが、成績優秀。塾に通っていなかったが、成績が一番よかった。
正直、人を見下してたんだろうな。委員会の委員長をして、忙しい部に入部しながらも、学年一の成績を取っているという自信が、自分を支え、それが、私のすべてだった。
勉強の努力は、人の見ていないところで死ぬ気でやった。元々、要領やものおぼえの悪い私は、人の5倍はやる、と決めていた。
「勉強ができないのは、努力不足」
私より点数の低いテストの答案を見つめて、今回はよかったとつぶやく友人を横目に、優越感に浸る、最低な人間だった。

高校は進学校へ。打ちのめされた

高校は、地元の進学校に進んだ。そこで、事件が起こった。
入学してすぐに、校内模試があった。すらすら解けた。きっと、中学と同様、上位の成績である。違いない。自信満々だった。
勉強ができる。それが、私を支える、すべてだったから。

結果は、学年360人中、358位だった。模試の返却で、初めて泣きそうになった。今までは、いい成績しか載ってなかったから。中学までの10数年、私のすべてだったものが、音を立てて崩れ始めた。
よく考えれば、進学校には、成績が優秀な人が集まってくるのだから、その中でできの悪い人、成績優秀な人が出てくるのは当たり前だ。私にとっては高校の順位がすべてだった。358位。私の下に、2人しかいない。

今度は勉強ができる人の気持ちがわからなくなった

そこから、勉強に身が入らなくなった。中学のころ、勉強のできない人の気持ちがわからなかったが、逆転した。高校になって、勉強ができる人の気持ちがわからなくなった。
いくらやっても理解できない数学、物理、化学、生物…。数学にいたっては、一桁台の点数を取った。悔しかった。でも、どうしても、できない。
ちっぽけなプライドで塗り固めていた私は、簡単に、はがされた。
勉強ができるプライドは、べりべりはがされた。
自信は、ずたずたに引き裂かれて、何が自分のとりえなのか、わからなくなった。自分には、何もできない。何もいいところがない。認めてしまうのが、本当に怖かった。

すごい人だと思われたい。話を盛るようになった

勉強ができなくなってから、弱い自分の存在に気が付いた。でも、認めたくない。すごい人だと思われたい。自分は特別であると信じていたい。友人と話すとき、話を盛るようになった。少しでも、すごいと思ってほしいから。自分を傷つけたくないから。
無駄に明るくふるまうようになった。おバカキャラでいくようになった。ちょっと変なことを言えば、この子は、特別な何かをもっている、と思ってもらえると考えたからだ。
高校生の時、もともと廃墟が好きだったのだが、全面的に廃墟キャラを演じた。純粋に好きだった廃墟を、話のネタにして、ちょっと過激に「朽ちてくのがうつくしい」とか言っちゃって。
本当は、奥深い廃墟のことがすきだったのに。まじめなことを言っても、誰も聞いてくれないから。

特別な自分を演じるようになった。本当は嫌な奴なのに

自分はピエロにでもなったのか。人を笑わせ、楽しませ。自分の思ってもないことでも、特別になりたくて、必死だった。
面白い、特別な自分を演じるようになって、その私を好きでいてくれる人が増えた。うれしいことなのに、詐欺のように偽ってる自分を好きになられても、本当の自分はもっと嫌な奴なのに。そう思うようになった。

大学生になって、国文学を専攻している。たくさんの作品に触れ、ふと、おもったことがある。
人によく見られたいとおもう自分も、演じている自分も、全部、全部、私の一部なんだ、と。
きっと、本当はねちねちしてて性格が悪い自分も、全部私の中で生きていて、どの自分も、消えてなくなったら、自分じゃ、私じゃなくなるのかな、と。
きっと、いつか、へらへらの自分と、性格の悪い自分とかもろもろに、感謝する日が、くるんじゃないかな。そう信じて、全部、ありのままの自分を受け入れたい。まだ、ちょっとできてないけど。
すべてを失ったとか思っちゃってる、悲劇のヒロイン気取りの、高校生の私へ。何も持ってないわけじゃないよ。たくさんの、自分の性格に支えられて、なんとかやってるよ。美人とか、スリムとか、そういった特別は持ってないけどね!(笑)

ペンネーム:くーさん

都内私立大学3年生。絶賛就活悩み中。
人間観察が好き。その時は若干妄想気味。好きなことは寝ること食べること。アルバイトはスーパーで黙々とレジ打ちしています。