中学時代の同級生が結婚していたと、かなり前にSNSで知った。
友人なんて間柄じゃない。彼女はいじめっ子で、わたしはいじめられっ子だった。

机の下で脛を蹴られたり、消しゴムのカスを頭からかけられたり、彼女とわたしの間には、マリアナ海溝よりも深い溝がある。…とわたしは思っている。でも時おり思うのだ。過去を見返すために生きているのは虚しい。だって見返したい対象はいつだってこちらを見ていない。対戦相手のいない虚空に向かって必死にパンチを放っているような不毛さを感じて、わたしは日々を生きている。

この世界での法律はいつだって多数の中にある

中学時代は暗黒時代だ。いちばん多感なお年頃で、中学時代を黒歴史だという人は意外と多い。わたしも類に漏れず、学年25人の小さな小学校から人口が6倍の世界に放り込まれ、見事にコミュニティからはじき出された。

入部したバスケ部では、1ヶ月で目をつけられる。入学早々新入生テストで女子トップの2位になり、学年委員長に推薦されたわたしは、明らかに浮いていた。先輩の悪口を言っていたと同級生が根も葉もないデマを流し、先輩はあまりにも軽率にそれを信じた。バスケットボールはぶつけられるわ、コートのど真ん中で土下座を強要されるわ。よくぞ1ヶ月かそこらでこれだけの敵を作れたものだと、過去の自分に驚く。

見返してやりたい、いじめっ子たちを、過去の自分を

いったん落ち着いた中学生活は、2年生に進級と同時に崩壊した。中学校が合併し、不安定でつまはじきに遭う人間を求めるクラスや部活動の煽りをモロに受けた形だ。

給食のカレーに家庭科の授業で使ったクエン酸が入れられていたり、筆箱で野球をされて中身がボロボロになったりした。いじめっ子たちは声高に、お前にも非があると責め立てる。たとえそうだとして、多数対一人で誰かを痛めつける理由になるなんて冗談じゃない。この世界での法律はいつだって多数の中にある。

本の世界に逃げ込んで周囲の雑音を遮断するようになるまで、時間はそうかからなかった。見返してやりたい、いじめっ子たちを、過去の自分を。そう思って高校は、中学校の同級生がほとんど行かない私立高校を選び、どうにか特別奨学生としての学費減額を掴み取って親を説得した。

どうしても過去から逃れられない自分

ちゃんと勉強していい大学に入ること。たくさん友達をつくって楽しそうに生きること。

いじめっ子たちが価値がないと切り捨てた前者と、彼女らに奪い取られた後者を取り戻すことがわたしの人生の指針になった。高校では、部活もバレー部に変えた。部の同級生たちとは、卒業後、全員の二十歳のお祝いを交互にするぐらいには仲がいい。クラスメイトとの関係も良好。気が合わない子も中にはいたけれど、相互不干渉なんていう高度な技術があった。大学も中堅大学の看板学部にストレートで入学。読書とスポーツ観戦なんていう文化的な趣味。控えめに言って、高校からの人生はすごく楽しい。

それでも、中学生活は時おり心に引っかかる。学歴や友人の多さなんかで人の幸福度は測れないと知っているからだ。性格の悪い考え方だが、楽しそうに生きる姿を見せてやりたくて興味のなかったSNSをはじめた。些細な反撃である。でもそこにあるのは、どうしても過去から逃れられない自分の姿と、過去のことなんか振り返りもせず、自分だけの物差しで楽しく幸せに生きているかつてのいじめっ子たちだけだった。成人式で彼女たちは何の屈託もなく写真撮影を求めてくる。わたしはうまく笑えていただろうか。自信は全くない。同窓会はあまりにもいたたまれなくて、親を泣いて説得してまで欠席で返事を出した。

わたしは自分の物差しで、幸福を測って生きていく

人生に勝ち組や負け組があるはずもない。あってたまるか。それでも、過去を自分の物差しにしているわたしは、その時点でなにか大きなものに負けていると思う。過去は消えない、それは仕方ない。中学時代を忘れられるほど寛容にはなれないけれど、わたしは自分の物差しで、幸福を測って生きていく必要がある。過去や他人に左右されない、わたしだけの人生の指針をつくる必要がある。
わたしはたぶん、死ぬまで彼女たちを許せない。それでも、すべてひっくるめて幸せに生きているのだと自信をもって言えるぐらい、これから先は楽しく生きるのだ。楽しそうにではなく、楽しく生きるのだ。

ペンネーム:ふみえ

東京郊外の大学4年生。過去だったり、才能だったり、見えない何かへファイティングポーズを常に取ってる卑屈な大学生です。読書とスポーツ観戦が好き。