人間関係というのは流動的なものだ。

その時その時、自分のおかれてる環境や欲求、目的によって必要な人は変わる。
わたしだけじゃなく、まわりの人もそう思っている。そう思っていた。

たとえば、山に登りたいという目的が一致すれば、全く趣味も話も合わない人とも2人で行った。
毎日のように連絡を取り合ってた友人とも、明らかに考え方が違うと分かった瞬間、連絡を絶った。

目的が一緒かどうか、その基準だけでゆるゆると関わる人を変えていく。切れる時はぷつんと切れる。人間関係の維持は難しいけど、自分の嫌なことは我慢しなくて済む。この生き方は間違ってない。そう信じていた。

こんなわたしを、女性のジャンルのどこかに振り分けるとしたら、いわゆる「サバサバ女子」になるだろう。あなたみたいにはっきりした性格の人あんまりいない。そう言われるのも希少性があるような気がして好きだった。

恋愛面でも、側から見たらそういう女が良しとされやすいことも、そういう女を好きな層が一定数いることも薄々わかっていた。特に、女慣れしてる男性はこざっぱりした女を好む。

気付けば、浮気相手のポジションがデフォルトになり、私の男性遍歴には「彼氏と友達の中間の人」ばかりが並んだ。

それすらも、需要と供給が合ってるからオッケー!なんて開き直っていた。

不安や恐怖「私は必要とされている」そう言い聞かせた

外向けにはサバサバしつつも、不安と恐怖と孤独に潰されそうになることがある。

わたしは、「同性にモテる女子」のように、仲間に心を開き、小さな出来事を報告し合い、友情こそ至高という考えを持つことができなかった。だからといって、「異性にモテる女子」のように、性的に優位な服装をしたり、男性を立ててすり寄って甘えることもできなかった。

自立した、一人でも生きていける女性としていまここに立っていることが、わたしの中で一つのステータスだったし、こざっぱりした女を演じてその性格が好きと言われることに優越感を見出して、なんとか生き延びてきたのだ。

一生関わっていきたいと思われる人間関係がつくれなくても、一瞬でもわたしを思い出してくれる人はいる。だからいい。

わたしは、ちゃんと、必要とされている。

不安の渦に巻き込まれて息が苦しくなるたび、そう自分に言い聞かせてきた。

「いいように利用されてるだけ」という指摘

夏休み明けの大学の教室で「夏休みの間に彼氏はできたか?」という話題になった。

みんなができた、できないと話す中、「彼氏じゃないけど、最近仲良くしてるのはこういう人」と何気なく話すと、ひとりの女の子が言った。

「それっていいように利用されてるだけだよ。必要とされてなんかない」

そう言われてはっとした。

ほんとうは、それに気付いていたから不安になっていた。
気付いていたから孤独を感じて、怖かった。
気付いてたから、わたしの後ろにいつもある闇が、わたしに向かって細い手を何本も伸ばしてきているのが見えていた。

利用されてるだけ。楽だから。

そんなのわかってる。自分もそうしてたから。誰かと深い関係になることほど面倒なことはない。人間の表面は綺麗だ。そのさらさらとした部分だけを撫であって生きるのはとても楽だった。

学校も、部活も、限られたコミュニティーのなかでうまく立ち回ることができなかった。人間の表面は綺麗だけど、人間の内面には汚いものや暗いもの、嫌らしい部分もたくさんある。それを見るのが嫌だった。

誰かが誰かを蹴落とそうとするのとか、理不尽な好き嫌いでコロコロ変わる態度とか、くだらないイジメとか、そういう汚い部分をなるべく見ないで生きていきたかった。

わたしは他人に心を開けないし、開こうとも思っていない。わたしだって、あんなに憎んだ人間の汚い内面をたくさん持ってる。そんなの、他人に見せるものか。それなら孤独に生きる方がましだ。

そう息巻きながらも、他人と分かり合いたいという葛藤と常に闘っているのだけど。

時に、もしくは常に、スイッチをポチポチと点けたり切ったりするように、自分のジャンルを再設定しながら生きていけたらいいなと思う。そういう賢さとしたたかさから離れたくて、わたしは今日も「サバサバした女」として生きている。

ペンネーム:カワバタユウコ

駆け出しライター・編集者。音楽とラジオに囲まれて育ち、太宰治・西加奈子・ダライラマの言葉を栄養に生きる。21歳で結婚し、現在2児の母。
Twitter: @yuko_kawabata_