私は友達が少ない。そして基本的に、人間関係が長続きしない。

例えば、学校では友達だった人と、卒業した途端まったく連絡を取らなくなったりする。理由は、"用がないから"だ。学校に関する連絡をしあうだけの関係だったのだ。一昔前の連絡網かな? それなのに友達だと思っていたなんて、お互いが滑稽すぎて、笑えてくる。

10年来の友人がいる人に嫉妬

さらに私は、少しでも私の恥ずかしいところを知っている人と縁を切ろうとする傾向がある。だから中学時代からの友人というものはいない。黒歴史を知られているからだ。それを知る人間と縁切りすれば、黒歴史は人生から抹消できるんだよ! という謎理論のもと、アドレス帳やLINEの削除、ブロックをした日。
爽快だった。アドレス帳やLINEがすっきりして、私もすっきりする。断捨離って流行ったけれど、人間関係のそれもあるのかもしれない。

本当にたまにだけれど、誰かと話していて、10年来の友人とか幼馴染とか聞くと、あ~そういう関係は私にはないなあ……と少し落ちこむ。いいなあって嫉妬したりもする。
だけど、人間関係を切ってきたことに、後悔はない。何故なら今誰がいたかも何をしたかも思い出せない程度の関係性でしかなかったのだから。

初めて「卒業後も友達でいたい」

高校を卒業して初めて、「卒業してもこの子とは友達でいたいな」と思う相手ができた。初めてそんなことを思った。卒業して、「これで縁が切れるんだな」と当たり前のように考えたとき、「それは嫌だ」と心が叫んでいた。これからもその子と話したい。語りたい。いつものような爽快感はなく、心はその子を求めていた。

卒業して進路が別れて、それと同時に連絡先を削除したり、連絡が途絶えたりする。それが当たり前だった私は、その子との関係を維持するのに何をすればいいかわからなかった。
とりあえず、Twitterを始めてその子と繋がった。そうしたら日常的に様子が知れるし会話のきっかけも増えるかなと思ったから。
結果的にこれは成功だった。今でも日常的に会話し、様子を確認し、やり取りしている。

一方で、気づいたら人間関係が切れていたこともある。大学を卒業してから半年ほど経った頃。とある友人がLINEにまったく反応しなくなった。「あ、ブロックされたな」と察して私はスマホを閉じた。
いつも人間関係を切る側だったから切られたことにちょっと困惑していた。その友人と喧嘩した覚えもないので、何か相手を怒らせたとか傷つけたとかしたか、心当たりがないのだ。

何が原因だったかわからないので、ちょっともやっとしたがそれだけだった。

あ、別れって私にとってはこんなもんなんだな、とすとんと納得した。他人から長い関係のあることを聞くとたまにいいなあと羨ましくなるのは、「長い関係」というステータスが欲しいだけなのだと理解した。

私の望みは、「私も長い関係を人に自慢したい」だったのだ。だが、ステータス欲しさに長期間の関係維持を頑張れるほどの執念はない。だったらいいやと諦めてしまう。人に執着できないのだ。

人間関係は移り変わるもの

別れなんて大袈裟に言うけど、人と別れたくらいで死ぬわけでもない。明日も変わらず、私は文章を書いていくだろう。

人間関係が長続きしない、させられない自分はおかしいのではないかとネットで調べてコミュニケーション系の記事でどんよりした夜もあった。けれど今はもう悩まない。
人間関係は移り変わるものであり、切れたり切られたりした縁は単なる変化の一つにすぎないのだということがわかったから。

これからも黒歴史を作ったらそれを知られているのが恥ずかしいと思う相手と縁を切ったりするだろうし、連絡の必要がなくなって関係が途切れたりするだろう。それでも、もうこれは私の性質なのだから仕方ない。長い関係がないことに悩んでいる人は、関係は長くなくてもいいのだと安心していい。長くなくても、そこにある友情は本物だから。