誰かのせいなのだろうか、私が大学受験に失敗したのは……

私はずっと、「家族のせい、家庭環境のせい」だと心の奥底で思っていた。

でも今は、少しずつ、家族への感謝と、過去の出来事を受け入れ、許していくことができている気がする。

教育ママが兄にかけた言葉は

私が高校生だった頃、父は単身赴任で普段家におらず、母と三つ上の兄と私の3人で暮らしていた。
母は教育ママだった。兄は小学校、中学校も有名私立を受験した。そして、両方落ちていた。兄が中学受験に失敗した時、母が兄にかけた言葉は、

「どれだけあんたにお金をかけたと思ってるの??最悪…」

小学6年の兄はトイレで吐き、下を向いて暗い顔をしていた。

そして、兄はまた高校受験に失敗した。3年後、兄はまた大学受験に失敗した。
浪人して、やっと大学に入った。

その頃、私は高校生。大学に入った兄は、心がとても不安定だった。潔癖症で常に手を洗い、家中を掃除し、虫を殺し、そんな事で忙しそうにしていたが、誰かと遊んだりサークル活動をしたりする事もなく、ずっと家にいた。
そんな息子の生活が気に入らなかったのか、母親はいつも兄に大きな声で汚い言葉を浴びせかけていた。

それに応戦する兄の大声とで、私の家の中は罵声が毎日響き渡った。兄は「俺が怒られるのはお前のせいだ」と言って私に殴りかかってくることが度々あった。
その頃、思春期真っ只中の私も、大声で罵声を発していた。

家が嫌いだった私の大学受験

兄と二人でいる日は殴られることが怖くて、ご飯を一緒に食べないようにしたり、できるだけ家の中で会わないようにしたり…。家の中に落ち着いた場所がなかった。家が嫌いだった。日常は沈んでいた。どこにいてもやる気が起きず、何をしても楽しくない生活だった。

そして、私の大学受験。
失敗。

「兄と母のせいだ。あんな環境で勉強なんて出来るはずがない」

そう思っていた。

一年後、私は遠く離れた大学に合格し、一人で暮らすことにした。清々するな、と思いながら。

そして、家族と離れて暮らして3年が経った。兄も実家を出て一人暮らしをしている。父も単身赴任で、私たち家族は一人一軒に住んでいる、バラバラ家族になった。私は彼氏を作り、兄は東京の生活を楽しみ、母は閉経して体が楽になったと言っていた。

罵声は聞こえない。
静かで、平和で、穏やかな日々が、当たり前のように過ぎ去っていった。それは、家族の中の私だけでなく、母も、父も、兄も、全員が同じように感じた、孤独の中の静けさだった。

「ありがとう」の気持ちに気づけた

なぜだろう。
静かな時間と、単純な日々の繰り返しが、
過去のわだかまりをモヤモヤと溶かしていった…。
決して忘れてしまったわけではない。振り返ると、今でも心が痛くなる。だけど、過去を思い出した時、チクリと感じる胸の痛みは、
怒りよりも、悲しさ。
悲しさよりも、愛おしさ。

あの頃の私や兄や母は、幼かったんだね、
あの頃の私たちは、あの時なりに精一杯だったんだよね…というような、フワリとした優しい心が、過去を変えてしまった…。

あんな家族とは関わりたくないと、そう思って遠い場所にやってきたのだけど、小さい頃、私は兄とカルタをしたり、家族ごっこをしたり、ゲームをしたり、サッカーをしたり…楽しくて大好きな思い出が確かにあった。

私の家族にも温かい思い出はあった

土曜日、日曜日は車で習い事の送り迎えを父と母にしてもらったし、高校生の頃も母は毎日お弁当は作ってくれたなぁ…。なんて、一人の静けさの中で、冷たい過去の、もっと過去を見つめ直して、私の家族にあった温かさを懐かしんだ。

兄はあの頃、母の言葉に傷ついて少しずつグレていったんだと思う。
母はあの頃、体と心のバランスが取れなくて、きつい言葉を使うしか表現の仕方がわからなかったのかもしれない。

兄も母も、あの頃は精一杯で、仕方のないことだったんだ…。そして私自身も、あの頃は幼くて、うまく気持ちを言葉にできないことに苛立っていたんだ…。

そう思うと、だんだん、憎かった母や兄が愛おしくなって、不思議と感謝の心のようなものが湧いてきた。幼かった自分も、家族の中で大きくなって、傷ついたからこそ優しくなれたと思った。

ありがとう、の気持ちは離れてからやっと気づくもの。
よくある言葉が身にしみて、過去は今の捉え方次第で大きく変わる気がした。
大学受験の失敗も、誰のせいでもない。

ありがとう。

声に出して言ってみたら、久しぶりに母の声が聴きたくなった。

ペンネーム:さえりいな。

本が好きです。大学三年生。