過剰な性欲を持て余す私が、若い時は色々やったという先輩の上野千鶴子先生に疑問をぶつけてきた。「なかなか性のベテランだね、あなたの年齢でそこに達するのは。身体の開発のレベルが高いです」との評価をいただいて、セックスについて格闘したレポートがこれである。

聞きたかったテーマはカジュアルセックスだ。ここでいうカジュアルセックスとは、愛がないセックスのことと、不特定多数と関係を結ぶことの二通りの意味があると私は認識している。その状態で対等な性関係が成り立つのかどうかを聞きたかった。

先生の著作を読んで当日に臨んだ

しかし、いくら私ができあがっていると言っても、赤面してしまいそうな話題であることは確かだ。上野先生も『快楽上等! 3.11以降を生きる』(上野千鶴子・湯山玲子/幻冬舎)などの著作でセックスについて語っているが、面と向かってエロをぶっ放すにはいささかためらいがあった。さらに、海千山千の上野先生にとって私なんぞひよっこ以下だ。恥をかき消し、ひよっこなりにせめてもの意地を発揮するため武装して当日に臨んだ。先生の著書である『家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平』(岩波書店)という本まで借りてきて前日までマルクスわかんない、バトラーわかんないなどと頭の中は修羅場である。

滝薫さんが座談会当日に持参した上野千鶴子さんの著書

「いろんなテーマがある中でそれを選んだのは関心があるからなのね、んじゃそれは何でなの?」と、上野先生はセクシーボイスで聞いてきた。

なぜ私はそんなにセックスが好きで、こだわっているのか?

答えは単純、気持ちよくて心が解放できるから。性の沼は足をとられるほど深く、謎めいている。恥じらいや汚さ、尊さ、愛おしさ、虚しさ、気持ち良さ、気持ち悪さ、やり切れなさ。一つの行為でこれほどの相反する感情が発現する多様性に好奇心をくすぐられずにはいられない。

主体的にセックスしているようで搾取されているのか?

また、カジュアルセックスを取り上げた理由は、愛と性が切り離せることを身をもって知ってしまったからだ。現代において、セックスライフを充実させることなど容易い。だが、自分の中の「好きな人としかできないよー」などという清純ぶった部分が私を引き裂く。女は貞淑であるべき、という通俗的な言説に捉われ、不特定多数と性的関係を結ぶことなんてけしからん、と脳内風紀委員も叫んでいる。

葛藤は、淑女VSビッチの戦争だけではない。欲望の赴くまま主体的にセックスしているように見えても、その実は男に搾取されているだけなのではないかと自己嫌悪している。

女体には男が群がる。その恩恵で潤うセックスライフであるが、自分が消費されていると自覚し、男の欲望を演じている。性に奔放なえろい女キャラに籠絡される男を侮蔑しながらも、男の与える承認に依存して生きている自我がある。相手の欲望を見透かした上でそれを利用して遊ぶのは、男の術中にはまっていることに他ならない。なんて低俗なプレイ。

私が男を攻略したように思っていても、彼の脳内は「こいつ簡単に脱いだぞ」だったりするかもしれない、いや、その可能性が大きい。

上野先生は、「女が自由な女っていうシナリオを生きているつもりでも、男は男のシナリオのなかにいるのよね。だから、同じ行為をしていてもディスコミが起きるの。でもしょうがないのよ、異文化接触だから。あと数世紀かかってもこの異文化の非対称性はなくならないと思う」と乾いた口調で言う。

次いで、今まで一番気持ちよかったセックスは何かと聞かれた。

思い出したのは、好きな人とセックスしたあとに幸せすぎて号泣した時のこと。生命は綿々と繋がり、ふたりの男女の歴史の連なりによって私ができたことに感動した。父と母が愛し合った結果として自分が誕生し、そして今自分も愛する人と命のリレーのセンターになれたことがたまらなく嬉しかった。

一人だけをセックスパートナーにすることに魅力を感じない

このように書くとロマンチックラブの元、一人と誠実に付き合ってきたかのようかに思える。人のセクシュアリティは一貫したものではないため、もちろんそんな時はある。でも、カジュアルセックスの対義語は?と尋ねられ、真っ先に思い浮かんだのが上野先生の言う「自分の身体の性的使用権を特定のたった一人の異性に対して生涯に渡って譲渡する契約」つまり一夫一妻制の結婚だった。もちろんそれを好む人を批判するつもりはないが、私は一人の人間だけをセックスパートナーにすることに魅力を感じないのである。

夫の性器だけじゃ満足できないと暗に言っているようなものだ。世間から見たら過剰な性欲である。こんな面倒なものを一年中抱えなきゃいけないとは、もはや性欲は私にとって業である。

直視しようが目をそらそうが、どんな人間でも成熟していく過程で(性欲がないということも含めて)性と折り合いをつけていくのは必至だ。でも、私は逃げずに真正面から欲望と相撲を取り合っているにも関わらず、まだそのちょうどいい着地点を見つけられていない。

官能による幸福感は愛している同士だけのものではない

官能によって作り出される二人の世界に浸る幸福感は、何も愛している人とだけしか味わえないわけじゃないと私は思う。

しかし、性と愛を切り離せる場合と、その境目がわからない場合がある。快感を与え合い、心を明け渡すうちに仲良くなってしまうケースだ。子宮が刺激され、神経が脳みそまで到達することによって恋に落ちる。

疑問が生じてきた。そもそも、性欲と恋愛を分けなくてもいいんじゃないか。もう一緒くたにしちゃえばいいんじゃないか。分けられないと割り切る。するたびごとに関係の経過と自分の気持ちを注視していく。それこそが私にとっての誠実な性との向き合い方なんじゃないか。

上野先生との会話で、私は「気持ちよくなったから恋をする時がある」と言った。その回答はとてもあっけらかんとしていて、「そりゃ当たり前よ」と返された。ピュアな友達が彼氏と手を繋いだだけできゅんきゅんした、というような話を聞くと、あまりにも自分と違うので自己蔑視してしまう時がある。汚れちまったなと思うのではなく、私は開発された身体を持っていると思えるようになったのは収穫だった。

そして、カジュアルセックスをすることが性的搾取される構造の中にあるとわかっていても、私はそれをやめないだろう。なぜなら男に与えられたものであろうが、私の快感は私のものだからだ。男尊女卑の構造を自分の中で主観的に処理しただけ言いたきゃ言え。自分の快感を自分で開発しようとする意志と、快感を与え合おうとする姿勢があるのならば、それは私にとって対等なセックスだ。私が対等だと思わなければ、男もそう感じることはないだろう。裸になった時にベッドの上で権力関係が露骨に出るなら、私はあなたに支配されるだけの存在ではなく、快楽を求めている一人の女性だということを主張する。

明日(22日)は上野千鶴子さん×かがみすと対談レポの続きを配信します。

上野千鶴子さん×かがみすと

01- 【レポ】上野千鶴子さんに質問「ベッドの上では男が求める女を演じてしまう」
02- 感想】「ベッドの上に上下関係はない。私は快楽を求める一人の女性だ」-滝薫 
03-【レポ】上野千鶴子さん「野蛮な靴と思って何が悪い?フェミも多様なの」
04-【レポ】上野千鶴子さん「ミソジニーに対処するのは私たちの責任なの?」
05- 【感想】上野千鶴子先生は「生きている間に男女平等になることはない」と言うけど-Ruru Ruriko
06- 【感想】「ばーか!」と言っても残る数人の子たちを大事にしたい-沙波
07- 【レポ】上野千鶴子さん「マスターベーションはセックスの基本のき」
08- 【感想】性についてオープンになってほしいけど、話したくない人は変わらなくていい-Ruru Ruriko 
09- 【感想】性に主体的で、独身じゃないとフェミニストを名乗っちゃいけないの?-沙波
10- 【感想】「上野千鶴子」になりたくない。いや、なれない-滝薫
11- 【感想】「What's wrong? 心のシールドを張ろう」-みのり