わたしは帰国子女だ。海外に中学・高校時代の6年間滞在し、その間ずっとインターナショナルスクール(以下インター)に通っていた。授業は全て英語で行われ、友達との日々の噂話・愚痴も、初めてできた彼氏の「好き」も全て英語を使ってきた。
「日本人がこんなに綺麗な英語を喋る事は聞いたことがない」「君の英語は素晴らしい」と外国の方々にはよく言われる。
そう言われてまんざらでもない反面、わたしは今でも英語にヒヤヒヤさせられている。いまだに「最大の敵」なのだ。
英語が足を引っ張って
インターに通い始めたのは、中学1年・13歳。日本生まれ日本育ちだったわたしは当時、全く英語を喋れなかった。アルファベットも最初から最後まで言えなかったわたしは、入学して間も無く、ESL(English Second Language;英語を第二言語とする生徒達の授業)に学年でただ一人マンツーマンで受ける事になった。
自分以外のクラスメートがワイワイと音楽や美術といった「楽しい授業」に向かう中、英語に特化した授業に一人で向かわなければならなかった憂鬱さや教室に向かうまでの重い足取りは今でも鮮明に思い出せる。最初の六ヶ月間、わたしは文法や発音を間違える事が怖くて全く言葉を発せなかった。
元々友達とのくだらないおしゃべりが大好きだったわたしは、悔しさと情けなさで学校から帰ってきては毎晩布団に顔をうずくめて泣いていた。
やっとやっと勇気が出て喋り出しても、「R」と「L」の発音ができていないこと、残るアジア英語のアクセント、圧倒的に足りない語彙力、間違え続ける文法。周りの友達がハリーポッターを借りる中、わたしは小学1年生の本棚から取った本を辞書を引きながら読み、友達が1時間で終わらる宿題に4時間以上かけ、それでもテストでは質問の意味が理解できず帰ってくる答案用紙はDのオンパレードだった。
数学、理科、歴史では良い点数が取れるのに「英語(国語)」のクラスはわたしの足を引っ張り続けた。「もし、あと2年早くインターに通い始めていれば」「もしアルファベットを使う国に生まれていたら」、という「もし」妄想をしながら、ひたすら英語で大打撃を受けたGPA(成績表)を別の教科で修復し続けた6年間だった。
一転して「英語強者」になったけど
大学入学のために、わたしは6年ぶりの日本社会復帰を果たした。帰国子女枠のわたしは、大学に入学すると「英語強者」になっていた。
今まで一番苦痛だった英語の授業が楽単となり、条件の良いインターンシップ先も英語を生かしてゲットし、同級生はわたしの英語を聞き返したり指摘するのではなく、「すごい!」と憧れの視線を投げる。だが、いくら英語がわたしの「長所」となっても、わたしは全く英語に対して自信を持てない。
わたしはいつになれば自分の英語力に満足するのだろうか?英語で会話ができるようになった時も、授業を英語で問題なく理解できるようになっても、トッフルで100点超えても、海外の名門大学に合格しても、英語でニュースを読めるようになっても、わたしは自分の英語が満足だと感じたことがない。
授業についていけないと大泣きしていた自分も、英語が喋れないから一人でトイレでご飯を食べていた自分も、テストでDしか取らなかった自分も、アジア英語のアクセントで喋るわたしも、もういない。
それでも発音の良さに騙されて喋っていくうちに相手にいつボロが出るかとヒヤヒヤしている自分がいるし、英語ネイティブスピーカーと初めて喋る時わたしの耳は今でも必ず赤くなり、汗がドッと出てカラカラになる口に喋る前にいっぱい唾を飲み込む。
きっとわたしは、何度も何度も唾を飲み込みながら、英語がコンプレックスでなくなる日まで英語を喋り続けるけるだろう。だってそれしか、「英語」というコンプレックスに勝てる方法はないのだから。