「気にしすぎだよ」

その言葉に何度、頭を、心を、締め付けられてきただろうか。

友人と会話した後の帰り道、
さっき言ったあの言葉が相手の負担になっているのではないかと考えることが多く、後からごめんねと連絡をする。

その度に、「気にしすぎだよ〜。なんも気にしてなかったよ」と笑いながら言ってくれる友人たちには面倒な自分を受け止めてくれてありがとうと、感謝の気持ちが溢れる。

逆に職場では、気にしすぎる姿が、見ていてイライラすると口には出さずとも虐げられることが多々あった。受け止めてくれる人だけではないから、そういう態度を見るたびに、わたしが変わらなければならない、がしかしどう変われば良いのだろうかとばかり考えて過ごしてきた。

怒声や空気が自分のなかに入り込む

ピリピリしたその場の空気や人の感情、怒っている声などが自分に向けられているものでなくとも、自分に向けられているような感覚に陥り、身体に入ってきてしまうのである。体調が悪くなったり、苦しくなったりするのだ。

例えば、親や兄弟が喧嘩していたりする場面に居合わせた際、空気を和らげようとして気を遣い、吐き気がしてきたり過呼吸が起きそうになったりするのである。

友達はいたが、この気にしやすい性格と、空気の苦しさに、小学校高学年から中学はほとんど学校に行けず、音楽に寄り添いながら卒業。
自分を押し殺すコミュニケーションを身につけて高校、大学と過ごし、気がつけば大人になっていた。
社会人になってからは、なにかとぶつかられることが多かった。嫌なことをされる側にも理由があるとよく聞いてきたから、この気にしやすすぎることであるのならばもはや仕方ないと思ってきた。

わたしがネガティブだから、わたしが人並みに過ごせないからこうなる、それならひとりでいればいいと、周りのことは大好きでも、なんとなく、距離を置くようになっていた。
一見孤独に見えるが、そんなわたしにとって、音楽とラジオを聴くこと、音楽を作ることが心の支えであり、他の人のようには生きられずとも、しっかり生活を楽しめていたからご安心を。曲を作ったり、歌うことを通して、普段言えない気持ちや感情をあらわにするアーティストを憧れに、生活の癒しとし、生きている。

検索して知った「HSP」

ひとが働いて生きていくことはこんなに苦しいものなのか?とまた転職を考えながら、ネットで検索していた。(この時、何を検索したかは覚えていない)

見かけたのが、HSP(Highly Sensitive Person)というワードだった。最近少しずつ SNSなどでも目にするようになってきたものだ。

全ては当てはまらずとも、わたしだ…と思った。肩の荷がふっと降りた気がした。

だって、悪いものじゃないから。

今まで本当に苦しかった。見えている空気の苦しさが全く伝わらず、お前が気にしなければいいとだけ言われてきた。

でも、違う。

よく捉えると、「敏感すぎる」からこそ、相手を傷つけない言葉選びができるということだ。

とても素敵な気質ではないか、とプラスに捉えられるようになった。変わらなければという考え方から、生まれつきのこの気質を大事にして生きていたいと思えるようになった。

無理をせずに生きていく

今、生きづらさを感じているHSPの方々が、自身がHSPであることに気がつき、受け入れて楽になってほしい。そして、自分の気にしすぎる≒優しすぎる部分を愛してほしい。

HSPの方々が、生きやすい世の中に変えるには今の社会は簡単ではないだろう。

だからせめて自分のことを受け入れ、無理しない生き方を見つけていけることを願うし、わたしも変わらず周りの人を大事にしながら、自分自身を無理せず生きていこうと心に決めた。がんばることをやめた。

ペンネーム:もつ。

音楽を楽しみながら、オタクしながら、楽しくのびのび生きること!個性を大事に!がモットーです♪
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