言語学習の得意な人間が憎かった。
第一志望の大学入学後、私に1枚の紙が配られた。『英語の苦手な学生へ』。ほかの言語で受験した新入生とともに、英語の学び方を一から教える補習の案内だった。

助言は頭に入らずに、私は絶望していた。春を越して私は劣等生に変わってしまった。

「そりゃあんた、休みの間勉強しなかったじゃない。普通はセンター試験から二次試験までに伸びるもの。その時遊び惚けてたからね」

夕食の席で追い打ちをかけたのは母だった。制度の関係で、私は他の新入生より一か月ほど早く受験を終えていた。

英語圏に留学した母は責めるような口ぶりだった。普通の学生は、進学先が決まったら解放的になるものではないか。反論を聞いた父が私を諭す。

「お前の大学の人間は外国語ができるもんだろ。英語ができない学生の価値はない」

こうして私は価値をなくした。

そして現れる就活

その後なにくそと奮起すれば美談となったのだろうが、実際に私が注力したのはスポーツであり、部活動であり、おおいに振り回された恋愛であった。英語の授業は必須単位分、専攻のフランス語もテスト前だけ詰め込んで、ラストティーンの熱量はどこまでもから回っていった。

そして、就職活動を目前に私は頭を抱えている。

1年半英語に触れなかった結果、TOEICの文法問題すらわからない。かといって留学をしてもフランス語は得意になれなかった。わからない自分に苛立ちながら勉強を続けると、今度は留学中のトラウマが蘇ってくる。

クラスメイトは「フランス語は微妙でも英語なら喋れるでしょう、え、ダメなの?」と首をかしげる。
「全然喋れないし聞けないし、勉強しているそぶりもない」。これは元大家に浴びせられたセリフ。
「あなた、幽霊なわけ?」。これは議論に加われなかった私へのメール。

ここまで脳みそが萎縮すると勉強どころではない。自室なら椅子を蹴倒し、図書館ならペン先を噛み、駅のホームでも人目をはばからず泣いてしまう。
無能を馬鹿にする奴らに私は叫ぶ。

「英語ができる奴も、フランス語ができる奴も、全員消えちまえ!」
およそ狂人の様相だ。

憎悪と自己嫌悪

当然逆恨みに効果はない。言語学習とは日々の積み重ねだ。単語を覚え、文法を身に着け、暗誦をし、語学の得意な人は真っ当に自己を研鑽してきた。その方が健康的で、生産的だ。
だから、私を本当になじっているのは私自身なんだろう。

言語学習が嫌いだ。外国語で優位に立つ奴らが嫌いだ。そう思ってしまう、嫉妬で努力ができない自分は一番嫌いだ。
「成長できないお前はクズだ!」
大学入学以来、ずっとそう感じている。

「できた」を積み重ねてほしくて

あるプログラムに参加した時のことだ。最終日の前日、私たちは班の4人で夕飯に出かけた。
モンゴル出身の女子が苦笑しながら、「あなたのこと、よくわかったよ。日本語で伝えるのって難しいね」と言った。
「そう?日本語もうまいし、話す分には問題ないでしょ」と、男子が言う。それでも彼女は首を振る。

「でも、プレゼンを英語でしたから自信が持てない。日本語できるって思えない」

その苦渋をにじませた表情に胸を突かれたのだ。

言葉が拙ければ思いは届かず侮られる。留学中、私の自尊心も言語の壁に傷ついていた。
同時に私は知っている。ネイティブに混ざって話すまでに必要な努力を。彼女がしてきたそれを、私ができなかったことを。

「まとめの発表は日本語でしてみる? 私達がサポートするよ」

私がこう言ったのは、モンゴル出身の彼女に成功を経験してほしかったからだ。自分を肯定するには、逃げず弛まず、「できた」ことを積み重ねるしかないと身に染みていた。

男子がそれを聞いて唸る。「俺らも英語じゃないと不公平だよな」
内心うっと身を縮こまらせた。それが道理だ。同じ挑戦を共有することにきっと意味はある。

でもやっぱり……TOEICのテキストを前に

そのプレゼンが終わると、講評の場で発表方法を評価された。同じグループの彼女は不思議そうだったけれど「頑張ったで賞じゃない?」と軽口を叩くと笑って肩をすくめた。
「頑張ったよ。よく短い期間で準備して挑戦したね」
英語が堪能な先輩から褒められて、自分は頑張れる人間なのだと、ようやく認められる気がした。

それから1か月ほどが経つ。
「言語学習は消えちまえ」。今私は、やっぱり毒づきながら、TOEICのテキストを開いている。言語学習とは日々の積み重ね。分かってはいる、それはわかっているんだ。

ペンネーム:ふちかみ

港町に住んでいます。和弓を引き、本を読み、絵を見ていたら数年が過ぎてしまいました。幻想的な表現物と甘すぎないレモネードが好きです。Twitter: @Gr99nF1ower