わたしはオタクだと思う。
オタクの世界は奥が深い。アニオタや鉄オタ、Dオタやジャニオタなんてのもあるんだと、インターネットは懇切丁寧に教えてくれた。アニメに精通もしていなければ鉄道に興味もなく、ディズニーなんか高校卒業後に行った以来。そんな名前のつくオタクじゃないけれど、わたしがオタク気質なのは確かだ。例えばスポーツ、そして小説。
興味本位から深く没入したエピソードはあまりにも多い
父に「お前はオタクだ」と言われたのは高校2年のときだ。
千葉の片田舎に住んでいたわたしは、両親の影響でスポーツ中継ばかり見て育った。そのうち好きなチームや選手ができて、新聞やインターネットを駆使して情報を集めた。ネット掲示板も見るようになった。父にオタクだと言われたのは、テレビ中継を見ながら好きな選手に関するうんちくを語った時だ。「お前、そんなマニアックなことまで知ってるなんて、オタクだな」。たしかにマニアックだった自覚はあるが、スポーツとオタクがなかなか結びつかずにわたしは首を傾げた。スポーツオタクなんてあるのかとわたしは怪訝な顔をした。そして父はこう続ける。「学校とかでマニアックな話をするのはやめとけよ」。残念ながらもう遅い。そのときにはとっくに、Jリーグが好きな男の子2人と休み時間のたびに顔を合わせては、業界用語が飛び交うコアな話を繰り返していた。話題が尽きたためしはなかった。
その少し前から片鱗はあった。中学時代は読書に明け暮れていて、昼休みの度に図書室に通い、家で読み、翌日また新しい本を借りる生活を送っていた。好きな本は100回以上読み返すし、本を読んでいると周りの音は何も聞こえなくなる。読書感想文は原稿用紙に何枚でも書けた。私立高校への進学が決まったとき、通学がスクールバスだと知った担任の先生は安堵したそうだ。「お前は電車通学だと100パーセント本を読んで乗り過ごす」かららしい。唐突に思い立って百人一首や各国の首都を片っ端から覚えていったり、興味本位から深く没入したエピソードはあまりにも多い。
わたしの趣向にぐらいは、正直に生きていく
オタクへの風当たりは強い。ネットの情報によると、アニメや漫画など嗜好性の強い趣味をもつ人たちが、二人称として「御宅」と言っていたのが始まりらしく、世間でもアニメや漫画の印象が根強い。もれなくわたしもそう思っていた。転じてある方向へ熱烈に入れ込むことも含めてオタクと言うようになったそうだが、ひとつに入れ込むというのは、周りが見えなくなることと隣り合わせだからだろう。空気を読みましょう、周りの顔色を伺いましょうで生きている大多数の人たちにとって、おそらくオタクというイメージは総じて悪いような気がする。
父親に「マニアック」だと言われたときも、驚嘆よりも批判の色合いを強く感じた。人と同じ熱量で物事を見たくても、気持ちが入ればすぐに人より踏み込んでしまう。周りに合わせようと努力もした。でもふとした瞬間に温度差が現れる。オタクは隠せないし、隠さない方がずっと不自然だった。少なくともわたしにとっては。
周りは「一生懸命」というオブラートに包んだ「変わり者」というレッテルを貼り、カテゴライズされた存在としてわたしを受け入れた。それでも片足を突っ込んだ沼からはもう抜け出せない。
この夏には、一人でサッカー観戦のため4ヶ所のスタジアムへ行った。1週間で交わした会話が、本を読むために毎日通ったコーヒーチェーン店の店員さんとだけ、なんてこともある。入り口が広く出口の狭いわたしの性格は、熱しやすいくせに冷めにくく、一度下火になってもふとした拍子にすぐ当時と同じ熱量で再燃してしまう。広く深く長く。知れば知るほど得られる充足感を、世間の同調圧力だけで放棄することは出来なかった。
「オタクは蔑称」は私の思い込みだった
わたしはわたしの人生を、とことん文化的に、有意義に、楽しく生きる権利がある。その文化的や楽しさの定義、意義のあり方は人それぞれ違って当たり前だし、個人の趣向を社会性に結びつけるのは間違っていると思う。
オタクは蔑称だとかつては思っていたけれど、結局それはただのラベルにすぎないのだ。社会と同調しようとした数年間でこれを学んだ。
わたしはオタクだ。これまでも、これからも。小説やスポーツに耽溺して、最近は特撮にもはまり出した。好きなものは好き。わたしはわたしの趣向にぐらいは、正直に生きていく。