同性同士であれば、友達であれば、その人の身体的特徴について言及してもいいのだろうか。

私は中学高校と共学の中高一貫校に通っていた。そこでは自分のことや趣味を理解してくれる友人たちに恵まれ、いわゆる普通の学校生活を送っていたと言えるだろう。

しかし、大学受験に失敗したことがきっかけで、女子大に入学することになった。女子だけの世界といえば、「ドロドロした世界」、「いじめ」、「御機嫌ようの挨拶」など、漫画やドラマでありがちな世界を想像し、未知の世界に不安を覚えていた。

だが、そんな私が想像していた世界とは違い、そこでも中学高校同様の「普通」の生活を送ることができていた。入学式で出会った友達と行動し、一緒に授業を受け、一緒にお昼ご飯を食べるような「普通」の生活を。

「胸大きいね、うらやましい」の一言

だけど、そんな「普通」の生活もこの日を境に「普通」ではなくなった。

ある日、授業前、友達にこんなことを言われた。

「〇〇ちゃんの胸、大きいね。羨ましい」

どう答えていいか分からず、確か笑みを浮かべながら、とりあえず「そんなことないよ」と言った気がする。友達の発言が衝撃的すぎて、どう返答したか覚えていないのだ。
私は自分の女性的な身体的特徴について人から面と向かって指摘されたことが初めてだった。

私はものごころついた頃から自分の胸や性器など、自分が「女性」であるとされる身体的特徴を自分でうまく消化することができなかった。ブラが性的なものに見えて嫌だったから、ずっとキャミソールのブラトップを身につけていた。

その友達は女子高出身だったため、そのノリで「普通に」羨ましいと言ったのだと思う。彼女にとっては「普通」のノリで。だけど、自分の女性としての身体的特徴をうまく消化できず、共学出身でそのようなノリが分からない私にその言葉は「普通」ではなかったし、違和感でしかなかった。

彼女を避けるようになってしまって

その後も、友達の言葉は違和感として私の中に残り、消化できないモヤモヤとして残り続けた。女性の身体的特徴をうまく消化できない私にとっては、「自分の胸が大きい」ということも受け入れられなかったし、それについて考えることも嫌だった。

結局、私はその出来事をきっかけに彼女と会うことも嫌になってしまい、彼女を避け、連絡を取ることもやめ、自然と疎遠になり、友達ではなくなった。

この出来事は女子高出身でそこでの「普通」のノリで生活してきた彼女と共学出身でそのノリが分からなかった私、2人の問題なのかなと考えていたが、最近実はそうではないんじゃないか、ということに気づいた。 ある時に、この話を思い切って他の人にしたところ、「それってセクハラじゃない?」と言ってもらったことがあった。そこで、私は初めて彼女が私に言った言葉はセクハラだったんだ、と認識した。ノリの違いだと思ってモヤモヤしていたものに「セクハラ」という名前がついた名前がついてからは、私の中にこの出来事はストンと落ちてきた。ある人の言葉が気づきとなったのだ。私の中でセクハラは異性から異性に対して起こるという固定観念があったため、今回のように同性から同性へと起こる「セクハラ」に対して気づけなかったのだ。

誰かの体に言及していいものじゃない

男性から女性、女性から男性、つまり異性から異性へ、身体的な特徴について触れることは、「セクハラだ」「いけないことだ」と分かるだろう。
だけど、女性から女性、同性から同性に対しての身体的特徴の指摘はどうだろうか。

私について指摘したあの子も「同性だから大丈夫」、それは友達としてのノリで、女子高では「ありがちなこと」だから大丈夫、そういう考えがあったのではないだろうか。

同性だから、友達だから指摘をしてもいい、ということではないと私は思う。自分の身体は自分のもので、変えることはできない。誰かが指摘して良いものではない、と思うからだ。

指摘された時の違和感を、まだうまく消化することはできていない。でも、この気づきを得て、一歩前向きになれたのではないかと思う。