ああ~~~~苦い思い出、あるある。「別れの瞬間」というエッセイのテーマを見て、二日酔いの頭でそんなことを思いました。振られマエストロなので。

ひとり酒が趣味の私、地元に何軒か「行きつけのバー」がございます。
その店のバーテンダーと交際関係になったことがあります。半年前、その時の別れ話で出てきた彼の一言。

「僕、人に気を遣っちゃうんですよね。そして、それを相手にも求めちゃうんです」

…俺はお前を気遣っているのに、お前は俺に気遣いができねえとこが嫌なんじゃ、と言われたわけです。

別れ話を了承したあとも、なんだかこの一言へモヤモヤがひたすらに後を引いて。
半年考え続けたのですが、最近答えが出てきました。

自分なりに気遣っていたつもりだったけど

私は、気遣いが下手くそすぎて接客業に挫折した経験があります。
対して彼はバーテンダー。お客様の本音を察して動く、気遣いのプロです。

自分なりに気を遣っていたつもりが、できてなかった。彼から見て、私の振る舞いは杜撰に見えたのだろうなと恥ずかしくもなりました。

そもそも、気遣いとはどういったことを指すのでしょう。

きづかい【気遣い】 ① 気をつかうこと。心づかい。配慮。 「お-は無用に願います」 ② 好ましくないことが起こるのではないかという心配。おそれ。懸念。多く、下に打ち消しの語を伴う。 「食糧が不足する-はない」

大辞林 第三版

辞書で引いてみると、こんな感じです。
今回の場合、①が相応しい状況ですが、「心づかい」という類似の単語が並んでいるので、そちらも引いてみました。

こころづかい【心遣い】 物事がうまくいくように気をつかうこと。 「お-ありがとうございました」

大辞林 第三版

物事がうまくいくように。
今回のケースに当てはめると、彼とのお付き合いがうまくいくように、ということになりますね。

「うまく」がなんだか、理性的すぎて冷たい言い方のような気がしました。
私のイメージする「気遣い」は、自分の身を削り、骨を折って最終的に相手を喜ばせる、そんなイメージだったのです。

「私がこれだけ投げたんだから同じ量もらって当然だよね」

思えば私は、「自分が骨を折って相手を喜ばせさえすれば、気遣いができたことになるのでは?」という考えでした。
でも、気遣いや心遣いはうまくいくように気をつかうこと。相手が喜ぶだろうと一方的に動いて、結局自分がダメージを受けることではないのです。

例えば野球の投手でたとえると、不眠不休で連投するわけではなく、自分の体調管理やモチベーション保持を考えたりしますよね。
自分のコンディションを整えていくやり方こそが、上手に投げられる状態ではないでしょうか。

私は、彼を喜ばすことに着目してばかりで、自分のコンディションは整えていませんでした。
夜職の彼に合わせて夜更かししたり、枕が変わると眠れないくせにホテルに行っては、セックスが終わって眠る彼の横で「つまんないな」って思いながら過ごしたり。
自分のことをおざなりにし、気遣いだと思っていたボールをひたすらに投げつけるだけだった。
挙げ句の果てには、暴投のくせに「私これだけ投げたんだからあんたからも同じ量のボールもらって当然だよね」というスタンス。そら振られもするわ。

夜更かししなくてもよかったし、セックスが終わっても少し構ってほしいってお願いすればよかったのです。
私が勝手にボールを投げ続けて不満不調を溜め、コンディションを崩して暴投しただけです。

自分に対して丁寧に生きて、そうしてようやく気遣いのボールを相手の的に当てられる。
さらに的に当てて初めて、相手もボールを投げ返してくれる。

これからは、自分を大事にすることで相手も大事にする、そんな気持ちでコミュニケーションをとりたいものです。