大学のスポーツ新聞部で、主務をやっていた。事務を主になって行う者のことを言うらしい。でも人に説明するとき、わたしはこう言う。

「名前だけ立派な、体のいい雑用係ですよ」

書類、幹事、書類、幹事。自分のやらなければならないことと主務の仕事で東奔西走。その忙しさはもとより、「やって当然」という周りの空気がきつかった。

幹事をやっても文句ばかり言われて

大学の部活動を取材して、新聞をつくる。取材、執筆、撮影、紙面レイアウト、すべて学生で行っていた。紙媒体で扱いきれないものはブログでアップする。管轄は体育会で、規律も厳しい方だったし、飲み会や合宿といった行事も多い。行事の運営と大学内外との折衝は、大抵主務の仕事だった。

忘年会の前に「忘年会、めんどい」「俺、当日インフルエンザになろうかな」と同期の男子に目の前で言われたのは、大学2年のときだ。それ、幹事の目の前で言う?
合宿でも納会の幹事でも、一部の男子から聞こえよがしな文句ばかり。「気持ちはわかるけどさ、出席はしてよ」と苦笑していた当初も、感情がすり減れば次第に態度も荒む。

大学3年の春、同期の編集長に思い切って打ち明けた。
「こういう態度はきつい。せめて文句は言わないように男子に言って欲しい」
「そんなの、主務として『当たり前』の仕事じゃん。わかってて主務になったんでしょ。文句言うなとか、労えとか何様だよ」

労えなんて一言も言っていないのだけど。きっと、彼にとってみれば文句を言っているのはむしろわたしの方なのだろう。だって、本当に仕事ができる人間は、「文句を言われないぐらい楽しい」行事を企画しようと考える。わたしは感情に蓋をした。
思わず、退部届を書いた。そこまでの器量はないし、仕事もできない。

続けられたのは取材先の人たちのおかげ

スポーツの文章が書きたくてこの部に入った。記事よりもレイアウト偏重な部活の空気を察し、レイアウトのセンスが低いから裏方頑張りますと主務に立候補。引き継いだ仕事をそのままこなすだけでいっぱいいっぱいのポンコツ主務だったけれど、仕事の出来ならともかく、内容そのものに文句を付けられる謂れはなかったと今ならわかる。

しかし当時は一気に仕事に自信が持てなくなった。気持ちが滅入って、好きだったはずの記事もパソコンの前で手が止まる。やりたかったことすら出来なくなるなら、この部活に自分の存在価値はないように思えた。いざとなったら使おうと書いた退部届は、あと部長印を貰って提出するだけだ。

辞めなかった理由は一つだけ。取材先の人たちのあたたかさである。取材、ブログ、写真。ひとつひとつに「ありがとう」を伝えてくれる。取材に行った先で、スタンドで応援している選手たちから「○○さんありがとうー!!!」とメガホンで叫ばれたこともあった。
この選手たち、マネージャーさんたちの引退までは続けよう。そう自分に言い聞かせていたら、いつの間にか自分も引退を迎えていた。
最後に選手とスタッフから貰った「お疲れ様」の色紙は、額に入れて実家に飾ってある。色褪せない保存方法をインターネットで必死に探した。

どんな所にも、「当たり前」の仕事なんてないと思う。

大学3年で部活を引退して、いまだに「元主務」が意味を成す部活の行事はすべて欠席。反動は凄まじい。でもこの部活は好きだったし、同期も良い仲間だったと思う。すべてにおいて大事なのは、想像力だ。この言葉を受けて、相手はいったいどう思うのか。
「めんどくさい」と吐き捨てた行事のために奔走している人間が目の前にいる、そんな想像力が足りなかっただけだ。

だから私も声を大にして伝えたい。3年間、無事に引退まで続けさせてくれたたくさんの声に。彼らがきっと「当たり前」だと思って伝えてくれた感謝の言葉は、決して当たり前のものではないのだと。ありがとうという言葉の偉大さを、精一杯の感謝とともに。