「八方美人」「いい子ちゃん」「卑怯者」
これが私がこれまで言われてきた言葉。

「みんなに好かれるなんて無理なんだから、諦めたほうが楽なんじゃない?」
これが親友だと思ってた人に相談して言われた言葉。

でも、そうじゃない。ただいろんな人に興味があるだけ。みんなに好かれたいわけじゃない。いろんな人と関わってみたいだけ。それなのに、気づけば物心ついた時から必ず影で言われる言葉が八方美人だった。

「いい子」であるはずの私は陰口を言われる

みんな仲良くとか、自分と異なる意見を尊重する方がいいとか、そんな道徳ばかり身につけてきた。本を読んでも、テレビを見ても、誰かを除け者にする奴は最後に自分がいじめられる。憧れの漫画のヒロインだってクラスみんなに平等に接する子ばかり。だから私もそんなヒロインになりたかった。

それなのに現実はそう上手くはいかない。

誰かの悪口なんて言わない。みんなに同じように接する。そんな子こそがヒロインにふさわしいと思っていたのに、現実世界で好かれる子なんて、むしろ真逆の子だ。クラスでいつも中心にいたあの子は、人の悪口をたくさん言っていた。みんなも同調するようにその子の周りに集まる。周りはそれを受け入れてしまっているから、その子も悪いなんて思わない。そんな風に悪いことは連鎖して、漫画の世界では「いい子」であるはずの私は陰口を言われるのに、「悪役」になるはずのあの子はいつも楽しそうだった。いつか逆転のシンデレラストーリーがあることをいつも願うけど、実際は思うようにはいかない。

初めて私は私を認めてあげることができた

でも、大学生になって私の世界はほんの少し広がった。

ちょっとの好奇心と共に始めたボランティア活動で、今までに関わることのなかった世代の人と関わるようになった。人生の先輩方は、私がボランティアに参加するようになってからこのグループは1つのチームになったと言ってくれた。仲が良くない訳ではないが何となく話す人とそうでない人が分かれていたのに、それがなくなったらしい。そして、今まで散々悪く言われて、勝手に後ろめたくなっていたこの八方美人を素敵だって認めてくれた。

そして、初めて私は私を認めてあげることができた。
確かに八方美人なのかもしれない。でも、誰かに迷惑をかけているわけではないし、そのおかげで友達はたくさんいる。大人数の浅い友達より少人数で深い友達付き合いの方がいいっていうけれど、私はたくさん友達がいるからこそ、色々な価値観を学ぶことができるし、毎日たくさんの発見がある。韓国アイドルが好きな子、アニメが好きな子、ジャニーズが好きな子、ディズニーが好きな子、映画が好きな子。私の友達は本当にいろんな子がいて、みんなそれぞれに特徴があって素敵だ。同じ趣味を持った子と深く語り合う楽しさもあるけれど、知らないことを教えてもらう楽しさもある。

「他人の評価なんて気にする必要ない」なんて言うけれど、高校生までの私はこの言葉の本当の意味に気づけていなかったのだと思う。この言葉は「自分のしたいように」っていう意味だけじゃなくて、「あなたを認めてくれる人は必ずいる。それは目の前のあの子ではないかもしれないかもしれないけれど。でも、必ずいるんだから気にする必要ない。」そんな意味なんじゃないかな、なんて今は思う。

あなたを認めてくれる人は必ずいる

残念ながら憧れの漫画のヒロインにはなれなかったけれど、今の自分は嫌いじゃない。自分の短所を長所だと思ってくれる人もいるんだって気づけたから。たくさん言われた冷たい言葉と同じぐらい温かい言葉をかけてくれる人が必ずいるって知っているから。

20歳の私。
これからもきっと苦しいことがたくさんある。
みんながみんなあなたにとっていい人には、残念ながらきっとなってはくれない。
でも、これだけは胸に刻んでおこう。
あなたを認めてくれる人は必ずいる。だから、無理に変わる必要なんてない。
「八方美人で何が悪い。」
同じ人間なんていないのだから、私は私らしくいよう。