――著書を拝読すると、1歳3カ月の時に、産みの母親と死別。母親の姉に引き取られ貧しい生活のなか、虐待を受け……と大変な思いをたくさんされています。それなのに、他人や環境のせいにするのではなく、「(育ての)母親にも虐待をせざるをえなかった事情があったのだろう」と相手に寄り添う姿勢が印象的でした。

環境や状況は自分で変えていくものだと思っているんです。もちろん、「自分が女だからなのか」「なんで私だけこんなに大変な思いをしなきゃいけないんだ」と思ったこともありました。

特に育ててくれた母親が年功序列、男尊女卑の考え方が強い人だったので、「末っ子女の子」の私は扱いが最下層でしたね。男の子になりたい、ちんちんほしいと泣いたこともありました。

今ならわかるんですけど、「末っ子女の子だから」っていうのは後付けで、お兄ちゃんが特別かわいかったんだろうなって思うんです。というのも、母親はお兄ちゃんを産んだときに無理をしてしまって、もう子どもを産めないと言われてたそうなんです。そう考えると、最初で最後の血のつながった子がお兄ちゃんだけだから、直接産んだわけじゃない私よりも特別かわいかったのかなって思うんです。本音はそうだけど、そうは言えない。だから「女だから」って言ってたのかなって。

――そう思えるようになったのはいつからですか。

15歳くらいで自分の恋愛をし始めて、自分のなかに「男尊女卑」的な思想が埋め込まれてるって気づいたんです。自分のなかに「女性」としてのサンプルが母親と祖母しかいないので、どうしても男の人を立ててしまうんです。昭和なら「何でも許すいい女」なのかもしれないですけど、ただただ相手を悪い方向にのせてしまっていた。

母親から離れようとしてるはずなのに、結局、彼氏を「第2の母親」のように自分を支配させてしまうんです。自分に問題があると気づいてからは、きちんと自分の主張を言うようにしました。それから変われた気がします。

ねこあやさん

「抱かれている」のではなく「抱いている」

――例えばどんなことですか。

私、好きな人がいたら素面の状態で「セックスしたいんだけど、きょう終わったらどう?」って誘っちゃうんですよ。

「デートしませんか」「飲みに行こうよ」「きょうは帰りたくない」とかそういうことの方が逆に恥ずかしい。足と腰と話ははやい方がいいじゃないですか。「抱かれてる」って思っていたことを、自分で選んで「抱いてる」と思うようになってから、自己肯定感があがったんですよ。

――む?どういうことでしょう。

テレビに出ているような俳優、アーティスト。それからスポーツ選手、政治家をセフレにし始めたんです。世間に求められる人に、求められるってすごく認められたような気がしたんですよね。お金を払えばいくらでも良い女を抱ける人たちが、わざわざ私を選んでくれているって気づいた時、めちゃめちゃ自己肯定感あがったんですよ。18歳の時に私を抱いてくれたひとたちは、私の心を育ててくれた人たちです。

ねこあやさん

まわりの人間関係をつくっているのは私自身

人間として認められるのも素晴らしいですけど、女性として認められることも女性としての強みだと思うんです。これは性的搾取じゃないですよ。だって私も相手を選んでいるんで。無理やりのセックスじゃない限り、セックスに不満を言うのは大嫌い。両方に合意があったなら、男だけが加害者になるのはおかしい。男女が対等だと思うからこそ、セックスをする権利は両方にあると思っています。「セックスしたんだけどぉ、すごく嫌なやつでー」と言っているのをきくと、なんて恥ずかしいこと言ってるんだって思っちゃう。まわりの人間関係を作っているのは、その人自身ですからね。

私は自分が褒められるより、友達を褒められるほうがうれしい。だって、まわりの関係性を作ってきたのは私自身だから。私の選んできた過去まで認めてくれたんだなって思う。相手にもそう思ってもらいたいから、尊敬するマブダチに恥じない人間でいなきゃって思っています。

ねこあやさんプロフィール

1994年1月スペイン生まれ。Youtuberになって3カ月でチャンネル登録者数10万人超え、2018年急上昇クリエイター1位に。高校生のころはギャル雑誌『Ranzuki』の専属モデルとしても活躍

ヘアメイク/福寿瑠美(PEACE MONKEY)