社会人としてつまずき、転職活動に勤しんでいる私でも、生存戦略の1つに「職場の人とは、信頼関係構築のため、ある程度腹を割って話すべき」というものがある。
“ある程度”がミソだ。
場繫ぎのために秘密を開示する必要はない
飲み会で「休日何してるの?」と聞かれると、「読書かな」と答える。嘘ではない。実際、名作に出会うと、涙を流し気付けば朝になっている。次に来る「どんな作品が好きなの?」に関しては、第1問で腹の表皮程度は割ったので、内臓までは見せないよう取り繕う。「うーん……村上春樹とか」。おつまみが来るまでの場繋ぎに、私の秘密を開示する必要はない。
勿体つけたが、私は世間一般でいう「腐女子」である。出版社から発行される男性同士の恋愛を主題とした作品ーー俗にいう商業BLではなく、男性同士の恋愛を主体としていない原作の行間を読み、登場人物の関係性を自らの視点で捉える二次創作BLを愛好している。趣味は「読書(同人小説を読むこと)」だ。真実をあかさないのは、オタク女であることを不用意にからかわれたくないためである。
なぜ二次創作BLを愛好するか?
私はミソジニーを内面化し、男性たちのホモソーシャルに憧れた結果、「腐女子」になっていた。女であることが重荷であり、私にとっては女から逃避出来るライナスの毛布なのである。
父親の頻出ワード「誰が稼いでやってると思っているんだ」
29歳の私は、丁度、昭和と平成の狭間で育った。
家庭は「昭和」そのものだった。父親が「お茶」といえば、母親か姉、私が冷蔵庫へ向かい、「箸」といえば食器棚に向かう。父親が食卓で動かなくて良い理由はただ1つ。家計を支えているから。声を荒げる時の頻出ワードは「誰が稼いでやってると思っているんだ」。典型的昭和おじさんフレーズである。マネーイズパワー。社会に出て金を稼いでいる=男は偉いという方程式が完成していた。母親は、上京してすぐ専業主婦になったので働いた経験がない。口癖は「働かなきゃダメよ」。金を稼いでいないために、夫に意見出来ない悔しさを滲ませた呪いは私を蝕んだ。
家風は昭和だが、家から一歩出ると世間は「平成」である。女性の社会進出が活発化し、共働きにライフスタイルがシフトした時代だ。昭和60年に「男女雇用機会均等法」、平成3年に「育児休業法」が成立した。女の子が主体となり戦うアニメも生まれた。幼稚園ではセーラームーンごっこが流行っていた。
一方、少年漫画やゲームでの女性キャラの扱いはまだまだ弱かった。流行りのRPGをプレイすれば、ヒロインは、たいてい回復役だ。モンスターを倒すのは剣を装備したヒーローの役目。ヒロインが敵に捕まりダンジョンへ救出に向かうシナリオは鉄板だった。女は仲間に入れてはもらえても、癒しを求められ、時には足を引っ張る役回りらしい、という認識が刷り込まれていった。
「金を稼いで男と対等になれ」という母親からのプレッシャーと、社会に出たってどうせカッコいいことは男の子がやるんだよという諦めが、思春期の脳内でせめぎあう。女は後方支援。女はダサい。そうした思い込みによって、私は女性性を抑圧し、男同士の拳を交えた友情や、背中合わせの信頼に過剰な憧れを抱くようになる。
『秘密-トップ・シークレット- 10』(清水玲子、白泉社、2012年)という漫画に、女性の血の吐くような慟哭がある。要約するとこうだ。
主人公・青木の所属する警察組織が事件を追いかけるうち、捜査員の近親者に危害が加えられる可能性が生じてしまう。男性である上司の薪は共に戦うことの出来る唯一の存在だが、女性や子どもは違う。守られるべき存在だ。あなたを失いたくない。だから、婚約を解消して自分から離れてくれと頭を下げる青木にフィアンセの雪子が応える。
「私も 私も男になって一緒に戦いたかったわ ずっと あの克洋君やつよし君の中に入りた入って戦地に行って最後まで一緒に戦いたかった ずっと ずっと」
『秘密-トップ・シークレット- 10』(清水玲子/ 白泉社、2012年)
雪子は、か弱いヒロインではない。バリキャリの監察医であり作中で起きる事件の捜査にも協力している。それでも男同士でのみ到達出来る世界の存在に彼女は苦しむ。守られる者は、対等な者には勝てないーー周縁化された女性の苦しみがここに詰まっている。私は、この場面を読んだとき、あぁだから自分は腐女子なんだな、と腑に落ちた。いつだって私は男の子に憧れていた、いっそなってしまいたい程に。お小遣いで買うのはりぼんじゃなく、ジャンプだった。それでも現実に生きる私はどこまでも女の子なのだった。女のダサさを脱ぐために私は少年漫画の男性キャラに自分を重ねた。腐女子でいる間は、男になりきって最後まで戦地で相棒と戦う切符を手に出来る。
実社会に出てみると、使えるものは犬でも猫でも使え。男女分け隔てなく仕事は回ってきた。敵に捕らわれようもんなら、自力でダンジョンを抜け出し、上司に「定時に間に合わず大変申し訳ございませんでした」と頭を下げなければならないだろう。
しかし、私はいまだに二次創作BLを愛好している。女性が戦地に出て戦っても、戦線離脱が待っているからだ。管理職の席ははスーツ姿のおじさんで埋まっている。女は戦地に行って最後まで戦う事は出来ないのか?
自分の中の「女ぎらい」を克服できず、社会の歪みを飲み込み生きる限り、ライナスの毛布は手放せそうにない。