大人になったら、結婚して、子供を産む。それが幼い頃から日本に生まれ育った人間に刷りこまれる「正解」だろう。でもいつからか、もしかしたらその選択肢はわたしにとっての最適解ではないのかもしれない、と思うようになっていた。

留学先で、片親育ちや義父母育ちの学生によく出会ったり(現地の友人たちによると、ヨーロッパでは離婚・再婚・事実婚が多いらしい)、日本でもSNSで夫婦別姓や同性婚を求める意見が増えたようにに感じたことを通して、わたしの価値観はゆるゆるとその形を変えていった。自分が信じ込んでいた価値観がガラガラと足元から崩れていく心許なさと、新たな価値観の中で息を大きく吸う高揚感。そんなさなかに巡り会った川上未映子の小説『夏物語』は、わたしにとって光のような物語だった。

人は、生まれてくる前に、自分が生まれるかどうかを選べない

主人公は作家である夏子。芥川賞受賞作『乳と卵』で語り手であった女性でもある。物語の舞台は『乳と卵』の12年後、38歳の夏子が、パートナーがいないながらも漠然と「子供が欲しい」と考えるようになっていく。ひとりでの出産を模索する中、精子提供で生まれ、自分の父親を探す逢沢潤、善百合子と巡り会う。彼らの孤独と向かい合い、夏子は出産はただのエゴなのではないかと自問する。同時に逢沢に静かに惹かれていくけれど、やはり性行為への違和感は拭えない。そんな夏子が最終的に出した答えはー。

この小説は、単に「パートナーなしでの出産」だけを描いた物語ではない。「パートナーなしでの出産」をベースに、差別、ジェンダー、セクシュアリティにまつわる、ありとあらゆる現代の性と生にまつわる諸問題を絡めながら一気に加速して、「生まれることの意義」と言うテーマへと集約してゆく。登場人物たちの台詞や心の揺れ動きを通して、私たち読者も「生」について思いを巡らせずにはいられない。
物語の中で、善百合子という女性が主人公に放つ「生」についてのこの問いに、あなたならどう答えるだろう。

「もしあなたが子どもを生んでね、その子どもが、生まれてきたことを心の底から後悔したとしたら、あなたはいったいどうするつもりなの」

『夏物語』(川上未映子/文藝春秋 )

彼女は別の場面で静かにこうも呟く。

「生まれてきたことを肯定したら、わたしはもう一日も、生きてはいけないから」

『夏物語』(川上未映子/文藝春秋 )

人は、生まれてくる前に、自分が生まれるかどうかを選べない。強制的に生まれさせられることでしか、生まれてくることはできない。彼女は生きることが苦しくて、「生まれてこなければよかった」と自己の生を否定することで日々をどうにか生き長らえているのだ。

「生まれたいかどうか」を神様に尋ねられたら、わたしは頷くことができないかも

そしてわたしは、そんな彼女を笑うことができなかった。「生きてはいけない」ほどではないけれど、時々ふと悲しくなったとき、落ち込んだとき、どうしてわたしは生まれてきたのだろうと考える。毎日些細なことに傷ついて、他人に怯えて、将来の漠然とした不安に苛まれ、悲しいニュースに胸を痛める。こんな日々があと何十年も続くと思うとゾッとする。でも、きっとこうして日々を過ごしているのは、わたしだけではないはずだ。少なくとも今の日本の社会状況では、誰もが「生まれてきてよかった」と、毎日存分に生を享受できるような環境は整っていないだろう。

だからわたしは自信がない。もしも生まれてくる前に「生まれたいかどうか」を神様に尋ねられたら、きっとわたしは、頷くことができないんじゃないかと思うのだ。こんな何十年も長くて答えのない旅に出るだなんて、怖すぎる。無理やり生まれさせられるのでもない限り、人は生まれてくることなんてできなくて、だから私たちはこうして選択できないまま生まれてくるしかないのだろう。

こんなにも悲しい悲しいと書いたけれど、それでも私にも「生まれてきてよかった」と思うような嬉しい瞬間も、今までに幾度となく訪れた。誰かと心を通わせたり、心を揺さぶる物語に出会ったり。そうした美しい瞬間は、「どうして生まれてきてしまったのだろう」なんて感情を容易に上回る。だからきっと、もしもわたしが子供を欲しいと思う瞬間が今後訪れたのなら、それはきっとこの僅かな希望の糸に全てを賭けてしまう瞬間なのだと思う。それが善百合子の言う通り、暴力的な行為だとわかっていたとしても。

将来、どんな最適解を見つけ出すのか、まだ22のわたしには検討もつかない

この小説の中の登場人物の生き方は、どれも「正解」ではないだろう。でも、彼らはそれぞれの最適解を見つけ、生きている。わたしが将来、どんな最適解を見つけ出すのか、まだ22のわたしには検討もつかない。あっさりとパートナーと巡り合うかもしれないし、特定の相手を持たずにひとりで生きていくかもしれない。パートナー以外の相手と暮らしていくかもしれない。子供を生むかもしれないし、生まないかもしれない。誰かの生んだ子供を育てるかもしれない。
それらを決断すべき人生の分岐点にぶつかったとき、きっとこの本は、静かにわたしの行き先を照らしてくれるだろう。どんな生き方だって、「正解」でなくても、わたしにとっての最適解ならそれでいいのだ、と。