親友のような関係性でお互いを支え合い、協力しながら家族を作りあげている両親の間に一人っ子でのびのびと育った。だから、女性ということで不利な立場にはなったことはないと思っていた。

しかし、20代になり、実はかなり早い年齢から「女性としての私の価値=男性の評価、男性が性的魅力を感じるかどうか」だということは学習していたんだと気づいた。それによって10代は社会がとても居心地の悪い場所だと感じていたのだ。

王子様が助けてくれる、選ばれることが幸せなのか?

私が幼少期観ていたディズニー映画はいつも王子様が助けてくれる、王子様に気に入られたから幸せになった、そんな話ばっかり。男性に「選ばれること」が女性の幸せなんだと無意識のうちに刷り込まれているような気がした。

男性にとって理想的な女性とは「セクシーだけど貞操を守る女性」。高校生の頃は「下ネタにノってくる女はひく」そんな言葉も聞いたことがある。

エロいけど尻軽じゃない。
そんな理不尽な期待を押し付けられているにもかかわらず、それを甘んじて受け入れていた。男子たちが下ネタで盛り上がっている中で女子は恥じらいを見せるのが正解なんだと暗黙のルールを学んだ。

そういう男がいいと思う女の行動を身につけ、知らないうちに男性から「好き」「かわいい」と言われることがすごく自分の中で大事になっていった。

常に男性からの視線、評価を気にしていた。

モテない時期があると自信をなくした

こうしていたのは私だけじゃないと思う。
女友達同士での「恋愛相談」という名の「モテてます自慢」はよくやってた。今思えば、なんであんなに男性から評価されてますアピールを友達同士でしなきゃいけなかったんだろう。

私は自信や自己肯定感も、結局男性から魅力的だと思われることで保たれていた。小学校の頃から割とモテていた私は、大学生になってモテない時期があると、自尊心が低下し、自分の何が良くないんだろうとどんどん自信をなくしていった。

そんな内面化された「男からの視線」で私は傷ついた。

ご飯のあとホテルに行った、そんな自分に泣いた

20歳になってすぐの頃、10個ほど上の男性に誘われ、ご飯に行った。
キャリア相談ができると思って楽しみにしていたのに、仕事の話を聞いた途端「そんな真面目な話はやめてさ、ねー好きな男性のタイプは?」と聞かれた。
ショックだった。結局私を性的なモノとしてしか見ていないし、そういうところにしか関心がないように感じた。
でも、男性からの評価=自分の価値だと思っていた私は、そんな言動も受け入れた。

自己肯定感を上げるためか、そういう風に受け入れるものと刷り込まれていたからか、酔ったあと一人になるのが寂しかったからか、結局ホテルまで行った。でもすぐに、なんでこんなことしてるんだろうと気持ち悪くなり、泣きながら謝ってホテルを飛び出した。

家に着いて一人になったあと、自分で自分を傷つけていたこと、自分の幸せは自分でしか作れないことに、そこで初めて気づいた。

異性から一人の人間ではなく性的なモノとして見られることが普通になって、彼らに魅力的だと思われることが自分の幸せだと思っていた。男性の評価に頼っていることが自分を傷つけていることに気づいて、見た目や行動に関して男性の評価に縛られていた自分を初めてそこで解放できた気がした。

まだまだ日常的にあるハラスメント

だけど、そんなハッピーエンドでは終わらない。
もちろん内面化していた抑圧的な視線を手放すのは大きな第一歩だけど、この社会で女性として生きている以上、日常的に「男からの目線」にさらされている。

コンプレックスなんて大体社会が勝手に押し付けてきたものだと私は思うから、そんな社会が変わることを切に願っている。