私はアイドルオタクだ。アイドルがいなかったら今頃死んでいる。そういうと「馬鹿げてる」とか「理解できない」という人が多いと思う。それでも彼らは私にとって大きな存在だった。

ひとりぼっちで生きているような気持ちだった

私は高校生の頃、クラス全体からのいじめにあっていた。持病が気持ち悪い、性格が気に食わない…クラスメイトから言われた「キモい」の一言にすべては凝縮されている。それがストレスになって持病が悪化してさらにいじめられる悪循環だった。元々アイドルは好きだったけれどその頃からそれまで以上にアイドルにのめり込むようになった。

悪口を言われる、馬鹿にされる、「消えれば良いのに」と言われる、存在を消される…そういうありがちないじめだった。頭のいい人が多かったからか証拠に残るようなことはされなかった。それが辛かった。
いくら私が訴えても「気のせい」で済まされるから。家族に相談しても「気にしすぎ」「そんなに周りはお前のこと気にしてない」と否定。私は一人ぼっちで生きてるような気持ちだった。

そんな私にとっての救いは数ページの毎月の雑誌とコンサートや舞台のお知らせだけ。ワンカットの雑誌のために生きようと思えたし、それの発売までは死ねないと生ゴミみたいな日々を生き続けていた。生ゴミよりもひどいかもしれない。クラスメイトに罵詈雑言を浴びせられた教室で何回ベランダから飛び降りてやろうと思ったことか。それでもスクールバックに忍ばせたアイドルの写真と彼の語っていた夢が私を思いとどまらせた。「もっと大きくなってファンのみんなと沢山の景色を見たい」アイドルらしい夢だった。

愛されて愛して アイドルの彼のように生きたかった

結局のところ、クラスメイトの素行も問題になっていじめ問題も露呈した。いじめはおさまったが私はそれに縛りつけられたままだった。友達はクラスにできるわけがなく、大学生になったいまでも連絡先は知らない。たまにSNSで友達リクエスト的なものが届くが軒並みバツのボタンを押した。

この間、昔のスマホを開いて写真の整理をしていた。地獄みたいな日々を送っていた頃のものだ。友達もいなかったからろくに顔の写ってる写真はない。そもそも学校で撮った写真に晴れやかな顔など一切ない。卒業アルバムも貰ったきり開いていなかった。淀んだ目と血の気のない頬の個人写真は封印したいくらいだ。

そんななか、スマホから2枚の写真を見つけた。好きだったアイドルのコンサートに行った時のもの、舞台を見た時のものだった。

加工なんてしていないノーマルカメラの写真。それでもその写真は高校時代で一番素敵な自分の写真と断言できる。飛び降りてやろうと思うくらいには環境と自分が嫌いで、いまだに自分のことを好きになれない私がそう言えるくらい写真の私は笑っていた。なんだ、こんな顔もできたのか。最近撮った加工アプリで何重にもフィルターをかけた写真よりもそれはかわいい女の子の写真だった。

ガチ恋とか付き合いたいとかそんなものじゃなかった。希望で神で道標で。彼のように綺麗に生きたかったのだと後から気づいた。たくさんの人から愛されて愛して。それが私の理想の人生だったのだろう。

違うアイドルのファンになったけど、今も

大学生になった私は彼のファンをやめた。いまは違うアイドルのファンとして過ごしている。命を救われるくらい好きだったのに、と不思議に思う。それでも私はもう彼のいるコンサートや舞台に足を運ぶことはないだろう。アイドルとファンなんてそんなものだ。

それでも地獄みたいな日々を救ってくれた彼はずっとわたしの理想だ。私はとあるアイドルに命を救われて今日も生きている。