中学1年生の6月、学校に行けなくなった。小学生の頃からずっと集団生活で感じる"空気"が苦手だった。必要以上に空気を感じ取ってしまい、周りの顔色ばっかりを伺ってきた。
そんな人生を投げ出したのが中学1年生の6月。ここから、わたしの6年間の不登校人生が始まる。
学校の空気を感じるのが怖くて、何もせず過ごした
明日から学校行かないから、の一言で学校へ行くのを辞めた。
宣言した翌日から学校を休んだ。何日も何日もずっと。担任の先生が迎えに来て、泣きながら拒んだ日もあった。母と喧嘩をして、ご飯も食べずにずっと部屋で寝ている日もあった。それでもわたしは絶対に学校に行くのが嫌だった。空気を感じるのが怖くて。毎日ただ何もせず過ごした。
中学2年生の頃、担任に言われて今でも忘れない言葉がある。
「あなたみたいな子はね、大人になってもずっと引きこもりでろくでもない人生を送るんだよ」。
でも、わたしはこれを言われた時に思った。
「え、この人何言ってるの?わたしだってさすがに大人になるまでこんな生活送らないし、絶対見返してやる」。
それでも、中学2年生~3年生もほとんど学校行かずに過ごした。
悔しい気持ちはあった。だけどその頃は先生の言う通り、結局私はろくでもない人生、ろくでもない人間なんだって思ったりもした。この頃だけは何を言われても足が学校へ向かなかった。
通信制の高校を卒業後、医療系の専門学校へ
高校生になると地元からは少し遠くの高校に通うようになった。初めのうちは全てリセットのつもりでうまくいってた。それでも、中学校3年間不登校だった私がそう簡単に学校に通えるわけはなかった。中学1年生のあの頃と同じように、また空気が怖くなり、突然行けなくなり、通信制の高校へ編入。
資格が欲しい、と思い医療系の専門学校に入学。不思議なことに3年間成績はトップ、学校では友達が出来た。時々休みすぎなこと以外は全て順風満帆、楽しい毎日だった。
この時初めて不登校生活を送ったことを後悔したし、すごく負い目に感じたりもした。それでも、今どきの若者っぽく、何も考えずに過ごすのは本当に楽しかった。
就職してからはまた地獄のような日々が始まった。また、"空気"が見えて仕方なくて怖くなった。何度も職場を変えた。逃げ癖は変わらないんだって自分を責めた。
自分は空気を感じすぎてしまうのだと気づいた
社会人になって数ヶ月、どうしてこんなにも仕事が続けられないのか、人間関係が上手くいかないのか、空気が怖いのか、そう考えて自分のこと、自分の性格を知りたくなってネットで調べた。その時、1件のネットの記事が目に止まった。
HSP(ハイリーセンシティブパーソン)だった。
深く考えすぎてしまう、感覚が鋭い、やけに勘が当たる、人の気持ちを読み取りすぎる、刺激に弱い…まさに私だった。
自分がHSPと気付いてから、本を買ったりネット記事でしらべたり、とHSPについて勉強したりもした。そのうち、これはこういう気質で私はこういう性格なだけ。自己主張が上手な人、明るくていつも場を盛り上げられる人、だとかひとりひとり性格が違うように、私は少し敏感すぎるという性格なだけ、とHSPについて調べているうちに私は自分が知りたくなった。それと共にそろそろ自分を認めてあげよう、と思えるようになったのだった。
あの頃と根本は変わっていない。でも、自分を認められるようになっただけで、過去の何倍も生きやすくはなった。見返せたかは分からないけど、中学2年生の頃の担任の言葉が実現しなくて良かった。
何度環境を変えてもいい、きっといつか自分の居場所が見つかるはず。私もまだ居場所は見つかってないけど。それでも、何度間違えてもいい、私は私の道を進むのみ!