昔、DVの要素を多分に含む男性と付き合っていたことがある。具体的には目の前でモノを壊されたり、外出や仕事の邪魔をされたり、寝ている間に挿入されて驚いて拒絶しようとすると「愛されていない」と落ち込まれたり、お金を無心されたりなどなどということがあった。

これだけ聞くと「ひどい男だ」と言われるだろうと思うけれど、そこに「DVの要素を多分に含む男性」と、わざわざ回りくどい言い方をしている理由がある。これから話す話は、DVや虐待などを受け、ケアが必要な人たちに対する寄り添い方についての話だ。

彼を悪く言われたくなくて誰にも話せなかった

先の男性と付き合っていたとき、私はそのことについてほとんど誰にも話していなかった。話せば「別れたほうがいい」と言われるに決まっていると思っていたからだ。起きた出来事だけ聞けばそうもなるだろう。実際、モノを壊されるのは悲しいし、お金を無心されるのは困る。ただ、私にとって彼はかけがえのない存在だった。そうした暴力を差し引いても、それとは別のレイヤーで大切だった。だから、私が恋人について話せるのは、私の性質をよく知る一握りの友人だけだった。「相変わらず大変だね。でも、一緒にいたいんだよね。何もできないけど話なら聞くし、あなたの決めたことを応援するけど、命の危険を感じたら逃げることだけは約束してほしい」と言ってもらえていたのが救いだった。

ただ、その友人も別件で疎遠になってしまい、私は本当に一人ぼっちになってしまった。窓や換気口のように社会に接続する通路が完全に遮断され、空気が淀んだ部屋で過ごすうち、関係はどんどん腐っていった。私ばかりでなく相手も疲弊し、水面張力ギリギリの日々はある日ついに決壊し、私たちは別れることになった。

大変だった、でも大切な人だった

DVの要素を多分に含む恋人と別れて平穏な毎日が待っているはずの私だったけれど、また別の孤立が待っていた。

友達と話していて恋人について話題を振られ、「最近別れたんだよね」と告げたあと、聞かれるがままに理由や経緯を話すと、「そんな男ひどい」「別れて正解だよ」とみんな怒ってくれる。恐らく私のことを想ってくれての怒りなのだろう。ありがたさを感じる一方で、こんな状況で「でも大事な人だった」などと言ったら、「ひどい目に遭わされていることにも気づけない可哀想な人」になってしまうのではないか。長い毛糸でも飲み込んだようなチリチリとした痛みを喉の奥に感じながら、私は明るい調子で彼について毒づいた。その場では「そうだよ、もっといい人がいるよ」などと肯定してもらえるので気分は晴れる。しかし、友達と別れた直後から、友達にその話をした以上の憂鬱が押し寄せて顔を撫でた。話せば話すほど嘘をついているような気持ちになった。自分の口から吐き出される言葉の澱で記憶が霞んでいく。

誰に何を話しても不安な気持ちが募る実感だけがあり、何をどうしたらよいかわからず、会う人会う人にそのことを話しては擦り傷を増やしていった。

そんな折、別れた恋人にも会ったことがある友人の1人に別れた経緯を話してみた。不憫に思われたくなくて極めて露悪的に、いつものようにおもしろおかしく話したつもりだった。友人は「それはひどいな」と笑いながら聞いていて、それは他の友人の反応と同じように思えた。ただ、私がひとしきり話し終えて「あー、本当にひどい男ですよ~」と言い終えると、朗らかな表情でこう言った。

「いやー、それは大変だったね。でも、これはすごく言いにくいけど、彼、いい男だったよね。世間的には強い女だと思われているけれど、いざ男の人を目の前にすると怖くて強く出られないあなたが野蛮な自分を完全に解放して体当たりしていける相手も、それに対して本気でぶつかってきてくれる人もなかなかいないよね」

身体の表面を覆っていた膠(にかわ)が溶けた感じがした。自分でも言語化できていなかった感情についての言及してもらえたのは彼と別れてから初めてで、まるで広大な砂浜から金の砂粒を掬いあげて見せてくれたようだった。「大変だったね」と寄り添いながら、大事なものを大事なものとして扱ってくれるのがありがたかった。「大変だった」も本当、「大事な人だった」も本当。その2つに矛盾はなく、十分に共存しうる。他人から言葉にして示してもらったことで、その友人を、かつての恋人を拠り所にすることができたのだった。

ケアに必要なのは”加害者”への「非難」だろうか

別れた直後、恋人への怒りを露わにした友人たちは何も私を追い込もうとしたわけではないだろう。むしろ、私を元気づけようとして同調を示してくれたのに、結果として私は苦しくなってしまった。

「そんな彼はひどい」と言われると苦しくなった。しかし「大変だったね」という言葉には救いを感じた。両者の違いは、私にとって大切な存在だった恋人への批判の有無である。後者は私の苦しみを認めつつも、彼を批判しなかった。もしかしたらクソミソに悪く言ってもらったほうがスカッとするときやそういう人もいるのかもしれないけれど、少なくとも私は苦しかった。専門的に言えば「マインドコントロールされているんだ」とか「乖離を起こしていて正常な判断ができていないんだ」とか「共依存だから良くない」とも言えるかもしれない。ただ、仮にそうだとしても私にとって彼はまだ過去になっておらず、今以上に私の身体の一部で、拠り所だった。だから、彼について悪く言われるたびに、風変わりだけど大切にしていた形見のブレスレットを「それ趣味悪いね、捨てなよ」と言われるような感覚を覚えた。大切な人が死んでしばらく経ってからなら「趣味悪いね」と言われても「趣味悪いよね。でもおばあちゃんの形見なの」と言えるかもしれない。

ただ、大切な人が死んだばかりのときは、死にたての関係については「大事なものなの」と発することはなかなか難しい。自分の「過去」は「物語」によって構成されている。並べられた事実をどう解釈して組み立てていくかによって、私たちの過去は喜劇にも悲劇にもなる。自分が納得のいく物語として編むことで過去を受け入れていく。こうした自分の過去すなわち物語は、基本的には自分自身で編み出さなければいけないものだけれど、弱っているときは自分で自分を規定することさえままならないこともある。ましてや社会的に良くないとされている過去を肯定するかたちで物語るには一定の強度が必要だ。

相手が心の内でどのような物語を求めているかはわからない。話を聞く人が相手の求める物語を察知して語ってあげる義務はないのだが、もしも相手に寄り添う気持ちがある場合は、その人の物語に自分の視点を入れずに寄り添ったほうがいいかもしれない。事実の点と点を結ばず、事実だけを受け止めることが、双方にとって最もリスクの少ないケアになるのではないか。

先に話したのは「DV」に関するものだったけれど「虐待」に関しても近しいことが言える。たとえば、過去にインタビューさせていただいた、福祉施設等で子育てや生活困窮者の相談に従事している中村みどりさんは、虐待を受けたトラウマのケアについて、以下のように語ってくれた。

虐待を受けたトラウマのケアは絶対に必要です。ただ、子どもにとってはたとえどんなにひどいことをされても自分の保護者は大切な存在なので、そこは認めてあげる必要があると思います。「あなたが暴力を受けるべきじゃないんだけど、でもそういうことがあっても、あなたの大切な家族かもしれんね」と、捉え方を変える。周囲の大人が「あんたのお父さんはひどい、お母さんひどい、虐待をされて育ったからあなたにはとても深刻な傷があるのね」と決めつけてしまうと、その子自身が本当に生きづらくなってしまいます。

「普通の家族」ってなんだろう?  児童養護施設経験者の私が考える、血縁を超えた家族のかたち。

このことは、個人レベルだけではなく、メディアにおける報道にも同じことが言える。たとえば、虐待した親について「鬼のような母」「残酷な父」とセンセーショナルな見出しをつけることは、世間の声を大きくし、法律や制度を変えるうえではポジティブに働く面もある。一方で、そうしたセンセーショナルさが“被害者”だけでなく、“加害者”を含めたみんなを追い詰める側面もあると中村さんは話していた。

怒りや非難が前進させるものもあるが、その中で切り捨てられたり、新たな傷を生んだりすることもある。誰もが全く傷つかないのは難しいとしても、覗き込んだりひっくり返したりしながら慎重に、できるだけフラットに触れるようにしたいとメディアに関わる一介のライターとして、一人間として背筋が伸びた話だった。

「見ているだけ」が救いになることもある

ここまで他者の物語に介入しないほうがいいとは言ってきたが、放っておいたほうがいいと言っているわけではない。DVや虐待の当事者は大事な人について「残虐な恋人」「鬼のような親」などと規定されると傷つくかもしれないが、一方で受けている暴力には困っていて且つ声をあげられない状況にある可能性が高いからだ。

とは言え、DVに限らず「もしかしたらあの子は困っているかもしれないな」と思いながらも、どう声をかけたらいいのか迷っているうちに自ら命を絶ってしまった友人が何人もいる。私が声をかけていたら変わったのか、そもそも生き続けることが幸福なのかという話は別として「あのとき、どう関わればよかったのか」という問いは事あるごとに私の中に反響する。今も模索は続くけれど、その答えの1つが「いつも見ている」という念を送ることだ。

先日、とあるイベントに登壇させていただいた際、DVを受けた経験があるという女性がこんな発言をしてくれた。

「実際にDVを受けている間は声をあげられないし、助けを求められないんです。ただ、そうした困りごとに直接踏み込むには各人の関係性もあるからすべての人にできることではないし、いきなり『あなたはDVを受けていますよね。逃げましょう』と言われても受け入れられないかもしれない。でも、毎日会ったときに必ず挨拶をするとか、余った料理を届けてくれるとか、そういう『見ていてくれる』という安心感だけでも救われる人は多いと思いますし、そこから寄る辺の関わりしろを増やせる可能性もあると思います」

この話を聞いて、私は精神科医であり医学博士の宮地尚子さんが書かれた『傷を愛せるか』(大月書店)というエッセイ集を思い出した。その中に収録されている『なにもできなくても』という作品の中では、感情に突き動かされず、経過を冷静に観察することは医師の基本だと知りつつも、そうした自分のスタンスがプライベートにも地続きであることに罪悪感を抱く宮地さんの葛藤が書かれている。

作品の終盤で後部座席越しに目撃した両親の交通事故について「見ているだけだった」自身の幼少期の体験について宮地さんは振り返る。

自分が直接ひどい目に遭ったわけではないから、その恐怖や緊張は、本人にも周囲にも気づかれないままのことが多いが、強い負荷を心身にかけるはずだ。(中略)起きたことを目に焼きつける子どもがいることで、救われる人間もかならずいるはずだから。

大事な友人が困っていたら悲しいし、怒りたくもなる。私自身も怒りを噴出させて自分の意見を語って謝ったり、思っていた以上の惨状に言葉を失って黙り込んでしまい、後悔したりすることもある。ときに相手の意見を無視しても強引に割って入った方がいい場合もあるかもしれないし、人に寄り添うことは本当に難しい。

けれど「見ているよ」という念を送ったり、「証人」としてその人の話を聞き届けたりすることならできるかもしれない。何もしていないようで最も負荷のかかる大事な寄り添い方の1つだ。

私は卑小な臆病者だから、よほど関係が築けている相手でない限り、弱った人を目の前にするとどうしたらいいかわからなくなって、口ごもってしまうことがほとんどだ。絶対解はないから模索は続けていく。けれど「できるだけ傷つけない範囲で助けになりたい」というエゴのせめぎあいの結果、狼煙を上げている人がいないか見渡して、フラットに話を聞くことが、今の私の暫定的な答えだ。

傍から見れば趣味が悪いブレスレットについて、趣味が悪いとわかっていても引きはがさずにはいられないだけの理由があるかもしれない。

illustration :Ikeda Akuri