幼い頃から「女」が苦手だった。
正確に言えば、自分は「女」として生きる事には向いていないと思っていた。

長く伸ばした髪、色の白い肌、大きな瞳、鈴を転がすような小さな愛らしい声。可愛らしい花柄のスカートや淡い色のブラウスを着て、ピンクや白のキャラクターの小物で女の子たちだけでお絵描きやおままごとに興じて、時には気になる男の子の話題でくすくすと控えめに笑いながら盛り上がる。女の子たちの当たり前は、私にはとても似つかわしくないものばかりだ。

色黒い肌、笑うとなくなる細い目、こけしのような短い髪。保育園に通っていた頃は間違えて男の子と認識されることも日常茶飯事。小学校に上がっても、冬でもコートの下は半そでのTシャツ、休み時間はドッジボール、家に帰れば数人の男の子たちと格闘ゲームばかり。卒業式の日に滅多に履かないスカートを親の言うままに着せられ、ずいぶん居心地の悪い思いをしたことだけが鮮明に記憶の片隅に残っている。

これまでのように生きていけなくなった中高時代

中高一貫校に進学した私は、途端にこれまでのように生きていけなくなった。
小学校の時のように振る舞うと、女の子にはひそひそと噂され、男の子にもなんだこいつ、という目で見られる始末。ほんの数か月のうちに、周りの子は身体と心が「男」と「女」になっていく世界に馴染んでいき、私はそんな世界でぽつんと置いてけぼりを食らってしまったのである。自分がおかしいのか、という疑念は私に自分への自信を失わせるには充分すぎるものだった。その先の6年間にあまりいい思い出はない。

高校の時に好きだった男の子は、私の告白を断った後、可愛い1つ年下の後輩と付き合い始めた。そりゃそうだ、誰だってこんな色黒で口が汚い上にドスの利いた声の女より、色白で小柄で守ってあげたくなるような女の子を選ぶよな。それでも私はそんな女の子になれなかった、なりたいと思わなかった。

私を好きになってくれる人なんて、遠い存在の「女」の物語でしかなかった。スカートを短くし、髪を茶色くする所謂上位ヒエラルキーにいる人たちこそがこの狭い世界での「女」の正義だった。そんな「女」の正義が、苦手で苦手でどうしようもなかった。

とは言え、そんな6年間でも私の中にはっきりとした自我ぐらいは芽生えてくる。
自分が好きなものでさえも、大声で好きだと言えない狭い世界。
こんな私を知る人が誰もいないところへ行きたい。
逃げるように県外の大学を受験し合格、私は晴れて大学生の身となった。

「女」として扱われないのはラクだったけど

中高時代の鬱憤を晴らすように、自分が理想とした大学生活を送っていた。
自分が一切「女」として扱われない、ということを除いては。

化粧もしない、スカートも履かない、言葉も汚い、趣味も男性寄りのものばかり。お酒もそこそこ飲めてしまうので、酔いを口実に男とワンチャンあるわけでもない。おかげでそこから彼氏ができた彼女になった、なんて浮いた話も一切ない。相変わらず同性の友人との濃い時間の過ごし方が分からないので、気が付けば単独行動かサークルの男友達とつるんでばかり。彼らと時には小学生みたいなガキくさい遊びで盛り上がったり、本気で口論したり。
そんな私に与えられた不名誉な二つ名は『男でも女でもない、第三の性別を持つ人間』だった。

「女」として扱われないのはとてもラクで楽しくて、同時に当時の私はそれが嬉しかった。オンリーワンとして愛される幸せは得られないけれど、他の女の子たちが知らない男の世界を見ることができる。そんな優越感と同時に、私は誰かの特別な「女」になれないことへのコンプレックスを肥大させていた。
結果私に残ったものは、「女」として生きる事に向いていないとしか思えない自分だけだった。

しかしそんな私は、大学卒業後に不本意ながら美容業界に飛び込むことになる。会社のイメージだけでてっきりアパレル企業に入社したかと思っていたらば蓋を開けてびっくり、私の社会人人生のスタートは百貨店の1階にいる化粧品売りのお姉さんとなってしまったのである。
毎朝1時間掛けて自分の顔を作り、履き慣れないヒールを履いて立ち続ける毎日。自分の人生の中で最も苦行のような2年間だったけれど、私はここで人生における「女」として生きる為の経験値の帳尻をようやく合わせることができたのだ。

同性と上手く付き合う方法を学んだ、自分を美しくする為の化粧を覚えた、自分の人生で最もスマートな身体となった。自分の好きになった人と初めてセックスをすることができ、付き合おうという言葉こそなかったものの、いつのまにか彼女としてそばに置いてもらえるようになった。

彼に一緒に「いてもらっている」がぬぐえなかった

それでも長年熟成された、私の誰かの特別な「女」になれないというコンプレックスは改善されず、おかげで私はずっと彼に一緒に「いてもらっている」という感覚が拭えなかった。私の家に彼が転がり込んでいてもお金は私が全て出すし、定職に就いていなくてもあまり文句は言わなかった。所謂立派なダメンズ製造機である、相手が相手なら確実に今も心身共に健康な生活は送れていないだろう。

幸いにも誠実な男であった相手のおかげで今はなんとか彼と籍を入れ夫婦として暮らせている。その上、結婚したことで私はやっと彼への一緒に「いてもらっている」精神を取り除くことができ、「女」としてのコンプレックスを解消することができたのである。

世間的な「女」のイメージや定義からはきっとほど遠い私、一般的に男性が求める「女」のような振舞いも言動もできない私。けれど彼はこんな私でも、世間や社会に自分の特別な「女」として公表してくれるんだ。みんなに、自分にとって大切な女性はこの人です、と言ってくれるんだ。
彼が私との結婚を決めてくれた。
たったそれだけのことで、私の心を30年近く蝕んでいた「女」であるコンプレックスが、ひいては自分へのコンプレックスが、どれほど救われただろうか。

女として少しは楽しく生きていけそう

結婚という、たった紙切れ一枚の提出で終わる制度。
けれど、これを以てして「女」としてのコンプレックスを解消できた私には今、これまで出来なかった、やりたいと思わなかった女性としての生き方や楽しみを満喫したい、という気持ちがこれまでの埋め合わせをするかのように溢れている。
こんな私でも、ジェルネイルをしたい、脱毛に通ってみたい、ヘアサロンで髪を染めたい。可愛くもない、スタイルもよくない、色白でもない私でも、綺麗になりたい、美しくなりたいと思うことを世間は認めてくれるのだ、許してくれるのだと、そう思えるようになった。
SNSに映る色白で瞳の大きな、自分が可愛いと知っているような女の子にはなれないけれど、この歳でやっと初めて誰も真似する事の出来ない女性にはなれそうだと、なりたいと思える自分がいる。

今でも、スカートやピンク色やロングヘアーは苦手だ。
そんな私でも、「女」として大切にしてくれている人がいる。
だから私は、自分が「女」であることをもう否定したりはしたくない。