私には大学看護学生時代の4年間付き合った医学生の彼氏がいた。大学1年生から看護師1年目の秋まで付き合って、誕生日の4日後に突然ふられた。好きじゃなくなったと。

私は彼氏に依存する性格で、なんでも彼氏に合わせていた。中学生の頃からずっと、付き合う彼氏の好きなものは私も好きになった。大学生になってできた彼氏にも、生活や価値観を合わせることに苦痛はまったくなかった。男友達と飲みにいくことも好きだったが、彼氏が不安になるといえば、関係を全部切った。それでも後悔はなかった。

彼と自分が全然違う人間であることがずっと怖かったのだ

看護師になってから、私の意見や考えを職場で求められ、自分の頭で考えるようになった。しかし私はその時に自分はどう思ったのか、どうしたいのか分からなかった。私って何がしたいのか。どう考えるのかよりも、ずっと人が何を求めてるのかを先に考えてしまうクセがあることに気がついた。 

社会人になって自分と改めて向き合ったように思う。自分の好きなもの、好きなことについて考えることが多くなった。
なんでも彼氏に合わせていた昔とは違って私はこうしたい、こう思うと意見を言うようになった。
そうすると、私と彼は全然違う人間なんだと知るようになった。そして、私は彼と自分が全然違う人間であることがずっと怖かったのだと知った。

彼が自分と同じだと思ってくれるような人間でありたかったし、違うということを知ったらふられるのではという不安があることに気がついた。
このままいったらいつか別れるんだろうなと思っていたが、このスタンスをやめようと思わなかった。

このスタンスを続けられたのは、私がずっとなりたかった看護師になれたからだと思う。安定した収入と生活。私と一緒に働いてくれる仲間と、あなたが看護師で良かったと言ってくれる患者さん。私の生活はそれで満ち足りてしまった。私の生活には彼をそんなにもう必要としていなかった。

安定した収入と生活、所属する場所があるということは、女性にとって人生の選択肢を多くするし自由にするのだと思った。
 
収入の安定した人と結婚したい。いい人と結婚したいと思っていたし、それが普通だと思う。けど、それが人生の幸せだとは限らない。4年頑張ったけど、世間の幸せは私の幸せじゃなかった。

それから半年後、案の定ふられてしまったが、あまり驚きはなかった。4年間一緒にいた人がいなくなる寂しさはあったが、きっと学生の頃にふられるよりは絶望してないと思う。きっと彼への愛着や情は山ほどあったが、それよりも私は自分の人生が好きだった。私は自由になった人生への希望があった。

好きな人の前でもありのままでいられる私でありたい

私は中学生の頃からずっと虚無感があった。いつも誰かに求められる私でありたかったし、依存する相手、合わせる相手をずっと探してきた。しかし、小学生の頃からなりたかった看護師という職を手にして、23年生きてきて今ほど自分が大切だと思ったのは初めてだったし、今が1番人生で充実していると思っている。

これからは自分の感性に忠実になって、自分の思うままに生きてみようと思う。自分の理想を追求したい。運命の人に出会った時、好きな人に合わせる私ではなく、好きな人の前でもありのままでいられる私でありたい。