私は母子家庭で育った。
何も引け目を感じなかったのは、母が一つも弱音を吐かずに、影で莫大な努力をしてくれていたから。
私は、掃除機の場所が家のどこにあるかもわからないくらい、ただただ、不自由なく過ごしていた。

それでも年を追うごとに、母の努力が本当に凄まじいものだったことに気づいた。母は10年以上、専業主婦をした後に、離婚を決め、社会に出た。そのときの風当たりは強かったと思う。朝も夜もなく働いていたのを知っている。私はそんな母を見て、女性が一人でも収入や子育てする環境に不安がないような環境に身を置こうと、仕事の不安が少しでも少なくなるよう、資格をきちんと取ろうと、決めた。

“女の子はできちゃいけないんだ” そんな現実が身体を突き刺した

大学では、2つの国家資格を同時取得するコースに進み、資格要件を満たすためにかなりの数の授業を取った。人よりも多い授業数にあたふたしながらも、充実した毎日であった。

その時に私には恋人がいた。
恋人は素直で優しくて、ちょっと自分に自信のない人であった。

授業に、一人暮らしの生活に、いろんなことに追われている中でも恋人といる時間は大切で、わざと授業をサボったり、そんな大学生活も楽しんでいた。

そんな恋人に、大学4年生の8月、2つの国家試験の勉強に加え、就職活動と卒業論文に追われていた、今までの生活で最も忙しいあの時に、振られた。

理由は、あなたといると劣等感を感じるから。
“女の子はできちゃいけないんだ”と、そんな現実が身体を突き刺した。
私の努力と、母の努力が同時に否定された気がした。

母がシングルマザーとして仕事を始めた時代から、何も変わっていなかった

高学歴な女の子はモテないだとか、女の子は少し抜けている方が可愛いだとか。そんな事は、どこか遠いところでの話だと思っていた。

私は、近くにいた1番の理解者だと思っていた恋人が、私の努力に劣等感を抱いていたこと、すべての愛おしい時間が、そんなことによって終わってしまったことが、あまりにも悲しかった。

この社会が植え付けてきた性役割は、女の子であった私にも、男の子であった恋人にも、重くのしかかっていた。それは、母が10年間専業主婦をしていた時代と、そしてその後、シングルマザーとして社会にでて仕事を始めた時と、何も変わっていなかった。
性役割が、個人の生活に、考えに、いかにひどく侵食しているのか、よくわかった。
振られたこと以上に、こんな社会の生きずらさに、愕然とした。

それでもどうしても悔しかった私は、ぼろぼろになりながらも、大学を卒業した。その時の生活は、あまりにも荒んでいて、あまり記憶にもない。
だが、もちろん、国家試験を2つとも合格させて。そして就職先も、決めて。

女の子のスマートさとキュートさは必ず共存できる

いまだに整理できず、納得できないことがある。この社会にも、その元恋人にも。
一番近くて、一番柔らかいところを知っている人にこうやって傷つけられるのは、怖い。
それでも私は、手に職をつけて、仕事をしながらも、大学院への進学も考えている。
これから先、女の子が思い切り勉強することや、女性として社会にでて行くことを性役割によって閉ざされない社会を作るためにも。

女の子のキュートさは、できないふりをしたり、常に男性に助けを求めなければならない無力な存在だということで、表すものではない。スマートさとキュートさは必ず共存できる。バカなふりなんてしない、知らないふりなんてしない。私は、自分の意見を、誰の前でもきちんと声に出せる女性で在りたい。そんな時代をもう、掴み取らなくてはいけない。