私にはとても大好きで尊敬している年下の女性がいる。私が彼女と知り合った時、私は大阪でニートを、そして彼女は東京でキャバ嬢をしていた。私と彼女は、ライブハウスに通う理由の一つであった、好きなバンドが同じだった。
彼女はいつも感受性が他人の500倍豊かで、いつも明るく機関銃みたいなおしゃべりで人を魅了していて、キャバ嬢だなんて思えない厳つい刺繍の入ったスカジャンを着て恋話が大好きで、常にワンカップを飲んでいるアル中で、そして物書きを目指していた。
書きたいのに書けない、でもつまらん人間にはなりたくないと、苦しさに耐えて酒を流し込み、文字を綴っていた。

彼女は私小説を書く人だった。キャバ嬢時代の色々ヤバい話、自分を投げ打って幸せにしようとした彼氏との出会いから別れるに至るまでの話。
こんなことが現実に本当に起こるのかよ!と内容によっては不謹慎かもしれない程私は面白さにニヤニヤしながら読み、あまりの痛さに泣き、狂おしい程の才能を認め、続きを待って、待って、待った。
更新は途絶えた。
彼女が書けなくなって暫くして、彼女は西の故郷に帰った。

彼女は私の「東京」

私は彼女に東京を感じていた。真っ赤な口紅に転げそうなヒールを履いて、他人と己と死闘するその様が、「東京」だと何故か漠然と思っていた。
彼女と、夜のオレンジのような赤のような光を放つ東京タワーを見上げながら、ビールを飲んで太宰は~安吾は~三島は~と文学について語り、書くという産みの苦しみを吐き出し、それでも「何者かになりたい」という話をしたいと。それが気負わずに出来る唯一の相手だと思っていた。彼女は紛れもなく私の「東京」だったし、私の指標だった。

故郷に帰った彼女は昼職につき、バリバリ働いて失恋して新しい恋愛をして、時々「つまらん人間になったなぁ」と呟き、営業マンとしてえげつない成績を上げていた。
キャバ嬢として生活費を稼ぎながらライブハウスに入り浸り酒を流し込み、物書きを目指していた憧れの「東京」らしい彼女が、バリバリのキャリアウーマンになったのだ。

ガッカリではなく、私は悔しくて仕方がなかった。彼女には才能があるのに、私には無い才能があるのに、書かない。書けないと言う。
ストーカー気質の浮気男に捕まった時にはLINEのアカウントが何回も消えて、ツイッターのアカウントも何回も消えて、もしもの為にと交換した携帯番号に電話がかかってきて「今から彼の家にタイマン張りに行ってこようと思っちょるんすよ!」と告げた彼女。それでも私は彼女の名前でググっては作品が更新されていないかと調べた。
ブログも音楽レポートもCDアルバムの歌詞からの二次創作となる掌編小説も更新されていないままだった。
本当に、悔しくて悔しくて悔しかった。
何故こんなに私が悔しいのか分からないくらい悔しかった。
ただ、書いて欲しかった。
でもそんなの、書けないと価値がないつまらん人間だと仕事に振り切っている彼女には言えなかった。
書けなくて悔しいのは彼女だし、書いて欲しいのは完全に私のエゴだった。
彼女はその後スカウトを受けて転職し、また営業マンとして主任になった。そして辞令で東京に行くかもしれないと、引っ越しの書類が意味不明だと呟いていた。
私は勝手にワクワクした。彼女のツイッターに時々上がってくる匿名で質問が送れる質問箱に、ぽつりと本音を置いた。

「貴女の文章はいつ読める?」

彼女からの返事は、「全身が総毛立った。まだ私の書くものを求めてくれてる人がいることに驚いた。また近い将来書く気でいます」
私は心底安堵した。
今はその安堵感だけで充分だった。

そして思い浮かべるのは、やはり夜の赤くオレンジに光る東京タワーを見上げながらのビール飲み会。出来るなら、セーターとコートを着込んでスヌードをぐるぐる首に巻いて、よく冷えた缶ビールを飲みながら東京タワーを見上げること。
本当はゴールデン街の「1番うまいレモンサワーが飲めるあの店」で飲み明かしたいけど、やっぱり芝公園で東京タワーがそこに欲しい。
彼女は「東京」というより私の「東京タワー」だった。スカイツリーができてもそこにある、昔からの、変わらない東京の象徴。

私は頑張れてもせいぜい大阪の通天閣だ。
何故か「東京」だと様になることを大阪ですると滑稽になる。
椎名林檎の丸の内サディスティックは多分大阪にすると「環状線マゾヒスティック」だし、終電で帰るのは池袋ではなく天王寺とか梅田になる。寺田町とか大正だとちょっとしたギャグだ。難波は環状線の丸とは少し外れた路線になるので除外だ。
これを彼女に伝えたらめちゃくちゃウケてくれたのだけど、私は「貴女は私の東京タワーです」などと言う謎な話はしていない。
勝手に私が思っていることだから。

私は彼女のようには…

以前彼女が昼職を始めてすぐあたりに、桜色リップが似合いそう!とアドバイスしたことがあった。彼女の真っ赤な口紅に転けげそうな高いヒールのプライドなど知らないで、呑気に「肌馴染みが良くて明るい雰囲気が倍増する色だと思う~」と薦めた。
当時私は美容に興味があり、パーソナルカラー診断もどきや似合うリップ選び、似合うアイシャドウ選び、遠心顔か求心顔かでのメイクの仕方の違いなどなど、かなり力を入れてツイートをしていた。
「きっと似合うよ!」その言葉で彼女は実際にその桜色のリップを購入し、塗ったそうだ。
「オススメされた桜色のリップが周囲に好評で嬉しい!今度給料出たら似たような色のデパコス買いに行く!」とまで言って喜んでくれた。

私には彼女の真っ赤な口紅と転げそうに高いヒールに匹敵するプライドがあるだろうか。それを投げ捨てて新しい世界に飛び込んで、未知の経験を積み上げていく勇気があるだろうか。
きっと無理だ。
きっと無理なのだ。
彼女は何も恐れていないし、私より他人に優しく厳しく、自分を投げ打ち他人の人生を背負う覚悟も、文章で食うという夢を貫き通す矜恃も、私にはないのだ。
だから私の中では彼女がいつまでも私の「東京」で「東京タワー」なのだ。

歳下の女性の才能に惚れ込んで嫉妬して、それでも読みたいからと執着しつつ、友達として彼女とやり取りをして、「小説は書ききることと文字数が壁です!まずは一万字、次は三万字…私はすばる狙ってます!ま、でもそんなんどうでもいいけぇ飲みましょうね!ビール!」私の知る広島弁とは少し違う山口弁で言われる。

ああ好きだ。貴女が好きだ。
貴女になりたいとさえ思う。貴女の中の「東京」を全て見せて欲しい、なんなら上京から辿って全て経験したいとさえ思う。
「大学は関西までしか出ちゃダメ」と親に言われた反動だろうか。
幼少期から「普通」に収められて「優等生」を演じて、それでも大人になった途端、病気で普通の道から堕ちた人生を歩む私の嫉妬心からだろうか。
人生経験の多さと、はちゃめちゃな生き方とそれに苦労してるのに人生を楽しむそのスタンスに羨望しているからだろうか。
私の人生が「つまらん人生」になっているのではないかという焦りからだろうか。
彼女の中の「東京」に、今も熱狂的に焦がれている。
私は大阪で生きている。
それが、私と「東京」のお話。