彼との出会いは合コン。顔を見た瞬間、「付き合うことはないな」と思った。瞬間で、つまり見ためで判断した。
とはいえ合コンだし、話さないこともない。話してみると意外と趣味が合う。合コンのあと、二度目のデートに誘われて「一緒にいてラクだからいいか」と映画へ。三度目で「付き合おう」と言われた。とっさに浮かんだのは「どうやって傷つけずに断ろう」だった。
それなのに、付き合うことになってしまった。「なんでダメなの?」と彼に聞かれて答えられなかったのだ。外見で人を判断するのはよくない。付き合ってみよう。一度は「付き合わないリスト」に入れたけど、人は見ためじゃないよね。どうしてもダメだったら、別れればいい。
なぜ「外見で判断してはいけない」と思っているのか
見ためで物事を判断する人が嫌だった。好きな人が、エリちゃん(顔が可愛い)を好きだと聞いた12歳の時から。エリちゃんとなんかほとんど話したことないくせに。私のほうが賢くて、あなたを理解できて、実りのある時間を提供できるよ。外見じゃなくて、中身を見てよ。
エリちゃんはただ可愛いだけではないのだろう。でも、思わずにいられなかった。「可愛い」がすべての変数だと。
可愛い子が「おはよう」って笑ったら、「おはよう」10点×「可愛い」10点で100点。可愛くない子が「おはよう」って笑っても、「おはよう」10点×「可愛い」1点で10点。可愛い子はただ「おはよう」と笑うだけで、絶大な効果があるのだ。きっと「可愛い」の変数を無視できる人なんていない。だから私は毎日、できる限りの「可愛い」を装備して外に出る。
本当は悔しかった。「可愛い」の変数なんて無視してほしかった。「あいつは性格いいけど、顔がちょっとなあ」と噂する男の子。同じ成績なのに「あの子のほうが態度いいから」と高評価をつける男の先生。見聞きするたび、「私はできるだけ可愛くしておいてよかった」と思う一方、「やっぱり外見が大事なんだ」と悔しくてがっかりした。「可愛い」が変数であることに気づかず、もしくは気づいたまま、それでいいことにする人たちを許せなかった。
自分がされて嫌なことを人にしてはいけない。昔から親に何度も言われてきた。だから、私は彼のことも外見で判断してはいけないと思ったのだった。
「なぜその顔で?」と思ってしまう 最悪だった
それなのに結局私は、彼の汗ではりついたうすい髪やアトピーだらけの肌を許せなかった。望んでそう生まれてきたんじゃないのに。私だって、望んで今の外見じゃないのに。
喧嘩した時なんて最悪だった。喧嘩の内容よりも、顔を見て怒りがわいてきた。「なぜその顔でそんなこと言う?」と思ってしまった。時々「ーーちゃんの友達にも会ってみたいな」と彼は言ったけれど、会わせたくなかった。なぜ、なんの気なしに会ってみたいと言えるんだろう。
「可愛く生まれていれば」と私が最も悔やむのは、恋人の友達に会う時だった。笑顔で「こんにちは」って言うだけで、恋人の自慢になりたかった。なれなくてごめんって思った。だから、かっこよくない外見なのに私の友達に会いたがる彼の「なんとも思わなさ」が許せなかった。彼は、外見を変数だと思っていないのか。だから、私を選んだの?
結局、彼とは1年間付き合って別れた。1年しか続かなかったのかと思うけれど、1年もの付き合いを最初からわかっていた理由で終えるのは苦しいことだった。何も変わらなかったのか。
彼と付き合うことで気がついた。外見を変数にしているのは私のまわりだけじゃなく、私もだった。「可愛いは変数」という価値観はすっかり内在化されて、私こそが外見を気にしていたのだ。
なぜ堂々としていられるの うらやましかった
私が許せなかったのは、彼の容姿そのものではなかった。許せなかったのは、彼が容姿を全く気にするそぶりを見せなかったことだった。私はいつも「可愛くないくせに」って言われないかなと心配して過ごしてきたのに。外見を指摘されることを恐れずに、堂々としていられる彼がうらやましかった。
外見に関係なく、仕事ぶりが評価されている様子もうらやましかった。女性よりも男性は、社会的活躍と顔の相関がないように感じた。
私もそっちにいきたい。外見が変数じゃない世界。「変数がどうであっても圧倒的に仕事ができればいいじゃん!」と思う日もあるけれど、結局どこかで「あいつ仕事はできるけど全然可愛くないしな、女としてはナシだよな」とか言われる日がこわい。そんなことあったら、もう絶対がんばれない。外見をがんばれない言い訳にしてしまう自分も嫌だ。外見が変数じゃない世界にいきたい。でも、できたらやっぱり可愛くありたくて、まだここにいる。