これまでの3年半、わたしの東京での大学生生活はほとんど失敗ばかりでした。

入学してすぐ、生まれて初めてできた彼氏はモラハラ気質で、「おまえは浮いた変わり者」と言われているうちに自分に自信が持てなくなり、いくつものサークルを掛け持ちしてはなんか違うな、と感じてやめる。授業を詰め込みすぎて結局大半の授業の単位を落とし、長期インターンシップに参加するも無給で雑用ばかり、別の会社に移るも社内の雰囲気は最悪…。そういう毎日でした。

理想の自分と現実の自分とのギャップに悩んだ東京生活

鹿児島の田舎育ちのわたしですが、中学生のころから大学は必ず東京に出ようと決めていました。そして、自分はきっと特別な人間で、東京に出さえすればなにかとてもすごいことが始まるんじゃないか、どきどきするようなことが起こるんじゃないかと盲目的に考えていたんです。恥ずかしい。

だけど、とうとう実現した東京での大学生活は悲惨なもの。青春を謳歌する友人たちがうらやましくて仕方なく、また、自分と同世代でもすでに社会で認められている才能に溢れたひとたちがたくさんいることに気付いてしまって、彼らが妬ましくて仕方ありませんでした。空回りばかりの東京での生活を通して、中高生のころは自分でいろいろなことを考えているつもりだったけれど、実際は大してなにも考えていなかったのだと気づいてしまったのです。

それでも自分もなにかしたいと思って編集部でインターンをしてみたり、お洋服を作るサークルに所属してみたりしたものの、どこかしっくりこなくて結局あまり続きませんでした。理想の自分と現実の自分とのギャップに悩み、長い間虚しさと焦燥感のなかにいました。

自分の妬みや嫉みは的外れなものだったと気付きました

そんな中、今年の春なんと20代前半にして心不全になってしまいました。幸い現在は日常生活に問題がない程度まで回復しましたが、入院当初は診てくださった先生がぎょっとしてしまうくらい容態が悪く、心臓に負担をかけないためにしばらくは入浴すら禁止。そしてひと月の入院生活を終えた後も、約半年ほど鹿児島の家でゴーヤを育ててみたり朝顔を育ててみたりして、ご隠居老人のような生活を送っていました。
 
だけど、人生万事塞翁が馬とはよくいったもの。約半年間、ある意味強制的に実家に閉じ込められていたおかげでパニック状態だった頭が冷えて、ようやく落ち着いた気持ちを得ることができたのです。やりたいことに優先順位をつけたり自分のキャパシティを把握できるようになったりして、東京に戻ってからも色々なことを詰め込みすぎて空回りすることがなくなりました。ここまで3年かかった…!

同時に、少しずつではありますが素直にひとの才能に対してすごいと思ったり、自分でも前向きにやっていこうと思ったりできるようになってきました。そして、自分の妬みや嫉みは的外れなものだったと気付きました。どういうことかというと、どんな風になりたいのか、どうしてなりたいのか考えもせずにとにかく目に入るあらゆる人たちと自分を勝手に比べ、焦り、落ち込んでいたことに気付いたのです。

将来はいまと地続きになっている

ある日ドラマのように劇的に何かに変身したりするのではなく、将来はいまと地続きになっていて、今日、いまどうにか自分なりにやっていくことがすべてなのだといまは感じます。自分なりにやっていけばいいし、自分なりにやっていくことしかできない。

だけど、あまり深刻にならないでとりあえず目の前のことに楽しみを見つけて、一日一日を生き延びていこうと思います。今日はアボカドが安く買えて嬉しかったです。