びゅうびゅうと冷たい風が吹き付ける寒い冬の日。
私は、高速バスで東京へ向かった。

東京は面白い。だけど、私が住んでいる山奥のほうが静かで落ち着くなあ

初めて東京に行ったのは、今から20年前の5歳の時。母親と、東京に住んでいる親戚の女の子と一緒にぐるりと街を回った。
そびえ立つ幾つもの高いビル、慌ただしく動き回る人たちを見て「これが東京か」と、とても驚いた。
当時、中国地方の小さな山奥に住んでいた私には見たことがないものばかりで、非常に新鮮だった。

「わあ!駅がいっぱいある!どれに乗れば良いの?」

中でも一番新鮮だったのは、東京の路線図だ。
東京メトロ、銀座線、日比谷線、千代田線―様々な路線の電車が走っていた。
JRと市バスしかない、地方の山奥とは大違い。
小さな身体で路線図を見上げ、親戚の女の子と目的地に行く方法を一生懸命考えた。

(高いビルがあるのはお洒落だし、電車がたくさんあるのも面白い。だけど、私が住んでいる山奥のほうが静かで落ち着くなあ)
東京からの帰り道、新幹線の中でそんなことを思った。

歳を重ねるごとに、東京に対する憧れの気持ちが膨らんでいった

考えが変わり始めたのは、高校1年生の時。
担任の先生に表現力を褒められ、文章を書くようになった。
中でも一番夢中になったのはエッセイ。形式に縛られず、自由に書けるのが魅力的に感じた。
もっともっと上手くなって、将来は誰もが知る有名なエッセイストになりたい。そんな夢を持つようになったが、小さな山奥では、勉強する手段も進路の選択肢も限られていた。東京に行けば、エッセイストになるチャンスが掴めるかもしれない。歳を重ねるごとに、東京に対する憧れの気持ちが膨らんでいった。

だけど、私はずっと恐れていた。
慌ただしく動き回る人とぶつかるかもしれない。
そびえ立つ幾つもの高いビルに怖気づくのではないかと。

「のんびりと田舎で暮らすほうが落ち着くなあ」と考え、東京に行くことを避けていた。流れるように過ぎていく時間。これから先も、こんな日々が続くのか。何の刺激も喜びもない、退屈な日々が。なんとつまらない人生だろう。そう嫌気が差した私は、意を決して東京へ行くことにした。

エッセイストになるという夢を叶えるため、私は今日も東京の街を歩く

母親に手を引かれて歩いていたあの時とは違い、自分ひとりで目的地へ向かおうとしている。ひょっとしたら、慌ただしく動き回る人とぶつかってしまうかもしれない。そびえ立つ高いビルに圧倒され、怖気づいてしまうこともあるかもしれない。でも、何回人とぶつかったって良い。高いビルに怖気づいたって良い。

エッセイストになるという夢を叶えるため、私は今日も東京の街を歩く。
鞄の中には、東京へ向かう往復の切符が10枚ほど入っている。
一枚たりとも絶対に無駄にしたくない。誰にも絶対に渡したくない。
ギュッと固く拳を握り締め、心の中でそう呟く。

ふと、見覚えのある看板が目に止まり、足を止めた。
5歳のあの日、親戚の女の子と見た路線図だった。
当時は、背伸びをしなければ見ることができなかったが、今は背伸びをしなくても、見ることができる。
あの日、一生懸命路線図を見上げていた小さな女の子は、夢を叶えるため、第一歩を踏み出した。
どんなに遠くて、困難な道のりだとしても、必ず目的地に辿り着く。
そう自身に強く言い聞かせながら。