東京。わたしの生まれて育った街。22年間呼吸してきた街。
だらしない罵声の飛び交う池袋の路地裏も、幾人もの出会いと別れを見守ってきた渋谷のハチ公も、歴史の重みを携えた東京駅の正面玄関も、物心ついた時から、すべてが当たり前のものとしてわたしと共にあった。変わったのは、マンションが建ち並んで見えなくなった夏の花火くらい。そんな変化を思い出したときに胸に湧き上がる寂しさも、わたしにはなんだか愛おしい。
でも、東京特有の、下を向いて忙しなく歩き回りぶつかる人たちや、満員電車の中に充満する悪意にも似た尖った気配や、公共の場で見知らぬ人に声をかけられたり不躾に眺められたりすることは、ずっと苦手だった。でも、そのときは公共の場で感覚を閉ざす習慣を自然と身につけてやり過ごしていた。だって、それが当たり前の東京だったから。
留学中に過ごしたスイスは、のんびりとしていて、自然に満ちた穏やかな街
そんな慣れ親しんだ東京を長い間離れる一年間の留学は、わたしにとってちょっとした事件だった。留学中にわたしが暮らしたのは、のんびりとした、人の少ない、自然に満ちたどこまでも穏やかなスイスの街。お店に入るときには挨拶をし、街中で目が合うと微笑み合い、電車が遅れても誰も苛立たず、公園で昼寝をし、家で植物を育てたりパンを焼いたりすることを大切にする人々が集う街だ。どれも、わたしの知る東京では見たことのない景色だった。
そんな街で暮らす中でわたしは、閉じられた感覚が再び開いていくのを感じた。見るもの全てが新しくて、美しくて、心を全力で揺さぶられて、なんだか赤ちゃんになって世界を見ているみたいだった。そんな風に生まれ変わったような感性を携えて、わたしはこの夏、東京へと戻ってきたのだった。
どこに居ても疲れてしまうけれど、やっぱり東京が好きなのだ
しかし、帰国したわたしを待ち受けていたのは、どこに行ってもうっすらと感じる恐怖の感覚だった。以前なら平気だった人の気配や悪意や視線が、降り注ぐように感じられるようになってしまったのだ。
どこに居ても疲れてしまう。大学はシェルターのようでほっとできるけれど、移動が苦痛で仕方がない。すべてに目を瞑り、耳を塞ぎたくなってしまう。ホームに溢れ返る膨大な数の人。何かに苛立ち道端で叫んでいる人。電車や駅の広告から滲み出る、"美しくあれ"、"何者かにならなければならない"という、絶え間ないメッセージ。苛立ちの充満した朝の満員電車。あんな狭い箱に閉じ込められて運ばれていくなんて、金魚すくいでまとめて掬われて運ばれていく金魚みたいだと思えてしまう。どこかへ行くために乗っているのに、どこにも行けないような感覚。それなのに、そんな風に正しく生活できる人が羨ましくて仕方がない。
それでも、やっぱり東京のことは好きだからなおのこと苦しい。大好きな人々にいつだって会えて、美術館とか映画館とか文化に触れる機会もいくらでもあって、読みたい本や可愛いアクセサリーがいつでも手に入って、世界中の料理を食べられる場所。それらに触れているとき、わたしは自分が生きてると感じられる。そして、これはわたしが留学中に足りないと感じていたことそのもので、つまり東京だからこそ生かされている瞬間もあるのだ。
結局、この冷たくも便利な街で生き延びるしかない
清濁併せ持った東京。愛しているのに憎い東京。今日も、椎名林檎の『TOKYO』を聴きながら、電車の外に広がる高層ビルの群れを眺める。無機質なビルの窓の一つ一つの向こう側に、誰かの生が広がっている。その莫大な生の目に見えないエネルギーに目眩がしながらも、わたしも結局はその生のひとつで、しばらくこの街から離れることはできないのだと痛感する。今日も結局、この冷たくも便利な街で生き延びるしかないのだ。