大学2年の時から5年間交際した彼氏と結婚して8ヶ月が経った。恋人から夫婦に関係性の名称が変わっても、学生の頃みたいに同等の立場でいられると思っていたけど、どうやら現実は違うらしい。

大学院に進学していた夫はわたしよりも2年遅れて社会人になった。夫が社会人になるタイミングで入籍、一つ屋根の下で暮らすようになってから、恋人同士として交際していた時には考えつかなかったいくつものモヤモヤが浮かび上がるようになった。例えば、経済力、家事能力、職場の環境、育ちの良さ、頭の回転の速さ、人間としての器の大きさ…。

わたしは今、あらゆる面で夫に勝てないと感じている。そして夫に対するこの劣等感をどこにしまえばいいのか、どこに隠せばいいのか、どうすれば消えてくれるのか模索しているところだ。

育った環境、仕事、人間力…夫に対する劣等感はキリがない

夫に対する劣等感は枚挙にいとまがないが、大きくざっくり分けると3つだ。①育った環境に対する劣等感、②仕事に対する劣等感、③人間力に対する劣等感。

①育った環境に対する劣等感の主な原因は、夫とわたしの「実家の世帯年収」が違うことだと思う。舅は高校の先生、姑は官公庁の職員。入籍の際には断ったにも関わらず結納金を気前よく出し、海外で年を越すような家庭だ。
一方わたしは幼少期、生活保護を受けて成長した。「実家の世帯年収」を上の上から下の下まで9段階でわけるなら、おそらく4段階くらい離れた層にいるだろう。もちろんわたしが下。夫の家族もわたしの家族も嫌いじゃない、むしろ大好きだけど、この育った環境の違い、それに伴う心の余裕を時々見せつけられ、勝手にわたしの心は疲弊している。

②仕事に対する劣等感は主に給与のことだ。社会人1年目の夫と社会人3年目のわたし、社会人3年目の私の方が収入は多いと思っていた。夫が院卒であることを考えてもせいぜい同額だろうと。
だけども日本は学歴社会。夫の方がはるかに多くの収入があり、ボーナスに至っては3~4倍も違っていた。もちろん仕事の対価はお金だけではないけども、この差額を見せつけられると「わたしのこの2年間の頑張りはなんだったのだろう…?」と思ってしまうのも許してほしい。

③人間力に対する劣等感は普段は影を潜めているのに、喧嘩をしたときにとてつもない存在感を発揮する。悪い癖だと自覚しているが、わたしはすぐ夫に対して感情的に当たってしまう。夫に対して甘えているのだろう。
夫の熱烈アピールから交際開始したこともあって、なんだかんだ夫はわたしに甘い。わたしが感情的になったときも冷静に対応してくれるし、喧嘩してわたしが謝れないのを見越して先に謝ってくれる。こういう器の大きさを見せつけられる度に自分の器の小ささを認識してしまい辛くなるのだ。

わたしは夫と肩を並べて一緒に生きていきたい

わかっている、わかっているのだ。夫は悪くない。むしろとてもいい人なのは。それでもわたしのよくわからない負けず嫌い精神が劣等感を刺激して苦しくなる。夫もわたしと同じようにこの苦しみを感じてほしいとさえ、時々思ってしまう。素敵な人と結婚できた嬉しさよりも、自分が夫に敵わない悔しさが上をいくのだ。自身の人間の小ささに辟易する。

この劣等感を解決するには、わたしが夫の立ち位置まで這い上がる。そして夫と肩を並べて一緒に生きていく。そのためには仕事も頑張るし、家事だってこなしてみせるし、心の余裕を保つために趣味を始めようかなとも思う。
「夫婦は同等、勝ち負けではない」という考えもあるかもしれないけど、わたしはそうは思わない。少なくとも今は思えない。相手より優れていることがないのに、つまりは負けっぱなしなのに、その相手と同等なんて傲慢すぎる。相手よりも優れているところがないことで自尊感情がゴリゴリに削られる。かといって開き直ることもできない。相手にきっと何か夫よりも勝てることがあればこんな気持ちも無くなるのだろう、無くなってほしい。

わたしはまだ夫に勝てることはないけれども、少しずつ近づいて、勝ったり負けたりしながら最終的には引き分けに、同等の立場になりたい。

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