どこからやり直すことができれば、「家族」が好きになれたんだろう。
もしかすると、タイムマシーンに乗って父と交際していた母に、「この人はやめたほうがいいよ」と伝えることでしか、この「家族コンプレックス」は解消されないのかもしれない。
私たち家族の中に国境ができたのは、何が原因だったのだろうか。
私が、悪かったのか。
父が、悪かったのか。
母が、悪かったのか。
妹が、悪かったのか。
それとも、みんな一様に悪かったのか。
「母なら、気付いてくれているはずだ」と願ってた
私は父から幼い頃に虐待を受けた。母は医療職に就いているので、家を不規則にあける。父は、その時を見計らって私たちに暴力を振るうのだった。
「母なら、気付いてくれているはずだ」そう、願ってた。
「もし母が気付いていないなら、私をいっそ殺してくれ」と、涙でぼやけた包丁の先を見つけながら願った。
そんな願いは、どちらも叶わなかった。
おかげさまでこうして回顧しているし、母に打ち明けた時、母は衝撃を受けて泣いていたんだもん。
「大学は、私の逃げ場」のはずだった
外面だけはよくて、家族のことなんて全く気にもかけない父なんて珍しくないのだろう。でも、そういう父の態度は家庭内別居に繋がった。家庭内別居後は、これまでの家庭のストレスから鬱に至った母への申し訳なさと、「父親」としての外面が大事な父は離婚はしたくなかったのだろう。そうした父からのおべっかに、母も私もうんざりしていた。「こんなエセ家族からは、早く逃げ出したい」その一心で、私は一人暮らしせざるをえない大学を志望して、合格した。そうやって、家族から逃げたくて来た大学だったのに、私は大学で家族に向き合わざるを得なくなった。
ちょうどゼミの先生が、幼い子供のいる「父親」だったから。
先生から家族の話を聞く度に、自分の父と先生を重ねた。
「先生みたいな人が、私の父だったなら、、、」という思いがどうやっても掻消せなかった。
そして、「家族とは?」の沼にはまった。
自分の親を好きになれないことは、親不孝な子なのだろうか?
今でも男性の怒鳴り声を聞くと、ひどい動悸に襲われるのは父のせい?
父だけ切り離せば「綺麗な家族」になれる?
私が割り切れば「家族」は元に戻るんだろうか?
そもそも、うちはいつまで「家族」だった?
「家族」って幻想なの?
考えたくないことが、先生を通していつも頭に響いてきた。
恋人がくれた「嫌いでもいいんだよ」の言葉
今年に入って、私は精神疾患を患った。その原因の一つが家族にあったのは言うまでもない。「もう、逃げられない」と腹をくくった。
ちゃんと、話し合った。ちゃんと、気持ちを伝えた。そして、先月やっと2人は離婚した。私の病気の原因が家族にあることを恋人に話した時、思わずこれまでの父への感情や、家族を気持ち悪いと感じてきたことを打ち明けてしまった。泣きながら。「こんなにも醜い感情たっぷりに『家族』を語る私に引くだろうか」と心配もしながら。
しかし、恋人がくれた言葉は「嫌いでもいいんだよ」だった。
これまで家族についての色んな本を読んできた。私への回答が、どこかに転がってるんじゃないかと期待して。でも、後ろ髪を引っ張ってくる存在を蹴り飛ばしてくれたのは、恋人の「たった一言」だった。
今の私を尽くして「家族」と向き合った
離婚の話が進みだしてから、私の病状もよくなっていった。やっと、自分だけのスタートラインに立てた気がした。でも、きっとスタートしてからも4人だった頃の「家族」を思い出すことがあるんだろう。そういう意味では、一生「家族コンプレックス」に追いかけられる人生になるのかもしれない。でも、私は絶対に追いついてこれないところまで前を走ってやろうと思う。これまでと決定的に違うのは、「家族コンプレックス」から逃げるんじゃなくて、打ち負かしてやるための疾走だということ。
「家族」から逃げて「家族」に囚われてた頃の私とは、もう違う。
私は、今の私を尽くして「家族」と向き合った。そして、頼もしい恋人が最後に「いってこい!」と強く背中を押してくれたから。これからも、私なりに風をきってやる。だから、同じように悩む人がいたら私と一緒にコースを走ろう。私がいつでもその手を引くから。