私の目に映る東京は、これまで、3色に変化してきました。

未知の世界へと連れていってくれるような、真っ白なイメージ

神奈川県に生まれた私にとって、小さなころの東京といえば、両親が毎年夏と冬に旅行に連れていってくれたときの、新幹線の出発地であり、未知の世界へと連れていってくれるような、真っ白なイメージを持っていました。駅の外に出ることは少なかったですが、それでも、毎年2回も行っていると慣れてしまい、「あこがれの場所」というイメージは持っていませんでした。東京は、そこまで頑張らなくても、手が届く場所でした。

東京はカラフルで、たくさんの可能性があるように思えた

中学生、高校生のころは忙しくしていたので、次に思い出す東京は、大学生のころのことです。東京の大学に進学した私は、毎日実家の神奈川県から東京に通いました。受験勉強をこれ以上できないというほど頑張ったおかげで、あこがれていた難関校と言われる第一志望の大学に入学できました。そういった理由もあり、そのころの私は、自分には何だってできる、できないことは何もないと、無意識下で思っていたのだと思います。「何事にも謙虚な姿勢で」なんて、言葉では言っていたけれど、今思えば、それは私の驕りをきれいに隠すためのフレーズだったと思っています。

そんな「何だってできる」と思っていた私にとって、東京はカラフルに思えました。カラフル、というとたくさんの色がありますが、それほど、私の目にはたくさんの可能性があるように思えていたのです。やりたいと手を挙げればその舞台はすでにいつも用意されていました。
私は高校生のころまではどちらかというと内向きで、本ばかり読んでいるような人間でした。ですが、大学生になってからは、カンボジアやフィリピン、ネパールと言ったアジア各国を訪れたり、イギリスへ短期留学に行ったり、学内外の学生団体に所属し活動を行ったりするようになりました。どんな道を選んでも、そこにはきちんときれいな色があったのです。

楽しかった東京が仕事だけの場所になり、グレーになった

しかし、そんなカラフルな東京も、就職を機にグレーへと変わってしまいました。穏やかな環境で、プライベートも大切にできると思い納得して決めた就職先でしたが、働いてみなければわからないこともありました。

事務職だったため、上司のサポートが主な業務でしたが、一番私の心をむしばんでいったのは、「お礼を伝える人の少なさ」でした。そんな些細なこと、と言われてしまいそうですが、上司にしろ同じ職種の先輩方にしろ、人が何かしたことに対してお礼を言う人があまりにも少なかったのを覚えています。小さなころから「何かをしていただいたらすぐに感謝を伝えること」と両親から教えられてきた私にとって、大きなカルチャーショックでした。また、毎日が家と仕事の往復、というのも、東京がグレーに見えた理由かもしれません。楽しかった東京が、仕事だけの場所になってしまったからです。

仕事を少し続けたあとは、国際結婚を機にイギリスに移住したため、東京との接点はなくなりました。東京を離れて半年以上が経った今、思い出す東京の色は、最後に感じていたグレーが少し薄まったような色です。そして、私と東京の間に曇りガラスが立っているかのような、靄がかかったような、ちょっとだけ形もぼんやりしつつあります。インターネットのニュースで東京の映像、特に丸の内の様子を見ても、どこか少し他人事というか、少し前まで自分が毎日そこに働きに行っていたことなんて信じられない気持ちになっています。

両親に会いに次に日本に帰ったときに、私の目に映る東京がどんな色をしているのか、想像してみることにします。