19歳の冬、アメリカ旅行中。
突然胸が苦しくなり呼吸もうまく出来ず、吐き気にも襲われ、お店の外で一人震える身体を一生懸命落ち着かせたあの時の記憶を今でも忘れられずにいます。
あの日をきっかけに毎日同じ症状に襲われました。
日本へ向かう帰りの空港でも気分が悪く、震えも止まらず、これまでの症状的に、生理前だからただの貧血か、もともと持ってる甲状腺の病気の数値が良くないかのどちらかだと思っていました。
日本に帰ってきた後も、バイト中震えては裏で休んで、倒れそうになっては裏で休んで、あまりにも酷い時は早退することもありました。
症状は急速に悪化し、電車に乗っているたった数分でさえもおかしくなりそうなほどの震えと吐き気。まともに呼吸もできないままバイトに向かい、勤務中もずっと手の震えやドキドキに襲われていました。
2ヵ月間それが続き、さすがに休まなきゃ自分がおかしくなると思い、バイトを辞める決断をしました。
パニック障害になった私は、コントロールできない感情に疲れ果てた
あまりにも長期的に続くこの症状を、ネットで検索しました。
そこに出てきたのは『パニック障害』『不安障害』こういった病気でした。
それは、ほとんどの症状が私に当てはまるもので、その時すでに人に会うことに異常に緊張して友達からの誘いも適当な理由をつけて断っていた時期でした。
家から1分もしない病院に行くことに恐怖を感じたり、家族といても全然安心できず、1日中ドキドキして、夕食を食べた後も毎晩吐き気に襲われていました。
心から楽しいと思うことができなくなり、それは今まで経験したことのない感情でした。自分が自分じゃないみたいですごく怖かったです。実際に精神的な病気になってみると、世の中はあまり理解がないということを感じ、偏見を持たれるんじゃないかとも思い、誰にも相談できませんでした。
周りは大学に行ってバイトもして友達とも遊んで、なのに自分は働くこともできず、友達と会うこともできず、何より半年後に行くはずだった留学に行けなくなってしまった。
なぜこのタイミングなんだ、なんで自分なんだ、こうなった自分をすごく責め、すごく恥ずかしいと思いました。
そのうち、コントロールできない感情や症状に疲れ果てました。もう何しても楽しくないしこんな気持ちで生活するのもしんどい、何もできないのに生きてる価値あるのか。
私は自殺までは考えなかったけれど、無気力になり、夢とかやりたいこととかどうでもいいし、別にいつ死んでもいいや~、そんなことばかり思ってました。
私を救ったのはSNSの女の子だった
SNSも嫌になって消してしまおうかと思っていた時期に、たまたま摂食障害から鬱になったという同世代の女の子のインスタグラムを見つけました。
今まで自分だけだと思っていたのとは真逆で、その子のアカウントには自分と似た病気で辛い思いしてる同世代の女の子達がたくさん集まっていました。
彼女たちを知ったことで、苦しんでいるのは私一人じゃないと気付くことができ、回復に向かうきっかけになりました。
今まで自己否定ばかりして自分を認めたことなんてなかったけれど、時間がたっぷりある分、毎日自分と向き合う時間を取るようにしました。
徐々に自分は自分でいいんだと思うようになり、もしかしたら偏見をもたれるかもしれない、そう思いながらも震える手に力を入れて、はじめて姉の友達に自分はパニック障害だということを伝えました。彼女たちは私を優しい言葉で包んでくれました。
自分のことを少しずつ周りに話すようになりました。すると、「高校生の頃電車乗れなかった、私も同じ症状になったことある」と共感してくれる人もいれば、「病は気からって言うじゃん?気の持ちようだよ」と言われることもありました。
しんどい時は無理せず休んで自分の身体、心を大事にしてほしい
実際、自分が病気になってみて感じるのは、誰にでもなりえるということ。
見た目じゃわからない、その人の頭の中に入らないとわからないものだということ。
気の問題だからとか弱いからとか、そんな言葉で片付けられてしまうこと。
偏見がなくなってもっとオープンに話したり相談できるようになってほしいと思うし、どうか近くで同じように苦しんでる人がいたら寄り添ってあげてほしい。
私と同じパニック障害、不安障害の人。他にも、自分を他人と比べてしまう人、似た病気を抱え悩んでる人がいたら、伝えたい。
周りと比べる必要なんてなくて、あなたは唯一の存在で美しいということ、どんな時も自分を一番愛してほしい。そして、しんどい時は無理せず休んで自分の身体、心を大事にしてほしい。
自分の病気を恥じることもない。何も出来ないことに罪悪感を感じなくていい、ただ生きていてくれてることが私は嬉しい。
そして、どんな時間も決して無駄じゃないということ。
私自身、前よりできることも増えてきたけれど、些細なことで緊張してしまう日もあります。あの症状に襲われる日もあります。毎日が闘いでもあります。いつになったら完全に治るの?って1人悲しくなる時もあります。
だけど、今こうなっていること、私は後悔していません。これが当たり前にできていたらきっと、良い出会いがそうではなくなっていたと思うし、いい言葉も、いい景色も、心が癒されるあの感情も、慣れすぎた日常では見つけられることが出来なかったと思うから。