「そんなハイライトたくさん入れたギャルみたいな髪色だと上にはいけないよ。あいつは仕事できるけど見た目がダメだとみんな言ってるよ」
深夜2時のカラオケ。酔っ払った先輩から突然言われた言葉に、予想以上にショックを受けた。「みんなって誰だよ。そいつら全員連れてこいよ」と小さく呟きながらトイレに駆け込み静かに涙を流した。
幸い周りは私が酔っ払って嘔吐でもしていると思ったようでしばらく経ってから戻った私のことをさして気にも留めていなかった。
みんなの模範となれと言われたけれど
翌週髪を切った。
自分の顔の大きさや骨格を隠すようにずっとロングヘアーだったわたしにとってショートに挑むのは勇気のいることだった。だけどそんなことは正直もうなんでも良かった。あの先輩に言われた一言に心底ムカついていた。
「周りから何か言われるぐらいならもう髪なんかない方がいい。なるべく短く切ってしまえ」そんな投げやりな気持ちしかなくて「適当に今風のショートにして、なるべく色は暗くしてください」とだけオーダーした。
特に鏡を見ることもなくイライラした気持ちで美容室を出た。襟足がどうなっているかなんてもうどうでも良かった。
会社に入ってまだ1年も経ってないけれど、人より努力していた自信はあった。それなりに周りからも評価されるようになってきた。
そして評価されればされるほど周りから「もっとこうすべきだ」と言われることが増えた。みんなの模範となれと言われた。
そんなものはクソ食らえだと思っていた。
誰かに何かを言われて傷つくのがもう嫌だった
人と違う自分でいることが好きだった。
大学生の時も何回も髪の毛をブリーチして赤やピンク紫、緑などあらゆる色に自分の髪の毛を染めた。そんな自分の髪が好きだった。
就職活動の時も金髪のままだった。
「この髪色のまま働かせてくれるところに就職したい」今思えば少しこっぱずかしい言葉を言いながら履歴書に金髪の写真を貼り付けていた。
人より目立つからこそ人より努力しなければならない。ただ目立つやつで終わらないように裏できちんと努力してきたつもりだった。
なのに、それでも周りは、こうあるべきを押し付けてきた。そんな状況に心底嫌気がさしていた。
だから、むしゃくしゃして髪を切った。
もう誰からも何も言われないようにと色も暗くした。
誰かに何かを言われて傷つくのがもう嫌だった。
新しい髪型も、意外と悪くないなと思った
翌日出社すると周りからは「すごく似合うね!」と褒められた。
わたしの気持ちとは裏腹に周囲からの評価は総じて良いものばかりで不思議な気持ちだった。
昼休み鏡に映る自分とはじめて向き合った。
今まで恥ずかしくて骨格が隠れるように顔周りの毛は絶対残してくれとオーダーをしていた。そんな自分の顔の周りには今何もない。
意外と悪くないなと思った。
髪を切って初めて自分の首が人よりも長いのだと知った。
コンプレックスだった骨格は「顔の形が綺麗だ」と褒められた。
人生わかんないもんだなあと思った。
ネガティブな理由でこの髪にしたのに、それはわたしのコンプレックスを乗り越えるとても良い経験になってしまったのだ。
自分がなりたい自分を髪型で表現できている時の方が人生は絶対に楽しい
だけど今でも強く思うことがある。
たかが髪型だ。
先輩から言われた一言が悔しくて髪を切った日にわたしの人格は何か変わっただろうか?わたしの好きなことや性格が何か変わっただろうか?わたしの中で何かが失われただろうか?
答えは違う。
見た目が少し変わったぐらいで、わたしが人生で大事にしてきた価値観や性格が変わるわけがない。本当に大切にしたいものは自分が一番理解しているはずだし、内面に宿るものは見た目に左右されないはずだ。
そして同時に思う。されど髪型だ。
決してポジティブな理由でショートカットにしたわけではない。
だけど結果的に自分のコンプレックスだった顔の形のことを好きになることができたし、前の自分よりも今の自分の方が自分に自信を持つことができている。自分がなりたい自分を髪型で表現できている時の方が人生は絶対に楽しい。
わたしがショートカットにし続ける理由は、見た目であれこれ言ってくる周りに心の中で中指を立てながら強い女として社会で生きていくための武器を持ち続けていたいからだ。
くだらない常識を打ち破るような存在になってやろう
今はこっそり小さな野望を持っていて、次に何か大きな仕事で認められ表彰されることがあれば金髪に染めて舞台に登ってやろうと思っている。
くだらない常識を押し付けられて好きな髪型をできないなんてすごく悲しいことだし、そんな常識早くなくなってほしい。そして自分がその常識を打ち破るような存在になってやろうというのがわたしの小さな野望なのだ。
あの時悔しくてトイレで泣いたわたしのような子をもう出さないために、こうあるべきを押し付けられる世の中ではなくこうなりたいを尊重できる世の中に少しでもなればいい。そして、そんな時代をわたしたちが作っていかなきゃなと強く思う。