「ねえ、どっちがかわいい?」

できたばかりの友達が、私と双子の妹を横並びに立たせて男の子に聞く。すこし迷った彼が「こっち」と妹を指差す。ここまでがワンセットだ。

一度ならまだよかったかもしれない。不運なことに父は転勤族で、幼い私はどこへ行っても同じような目に遭うのだった。どうして、女の子たちはこういう遊びが好きなのだろう。いつもみじめだった。

私はかわいい"じゃないほう"なんだ。そう理解するまでに時間はかからなかった。

どういうわけか私だけが歪だった

一卵性双生児である私達姉妹は、遠目から見るとほとんどおなじ。だけど全く同じというわけではなく、どういうわけか私だけが歪だった。その「違い」を何度も正面から突きつけられてきた私は当然のように自分が嫌いで、周囲を信じることもできず、いつでも消えてしまいたかった。

思春期になるとファッション誌を恐れることになった。自分が「かわいい」になれないことを痛感しているのに、なぜ誌面のモデルに憧れるのか不思議だった。コンビニでファッション誌を買えば、なぜお前がこんなものを持つのだと人に嗤われそうでこわかった。

見た目は「その人らしさ」と関連しているものなのだと知った

家族から離れて関東の大学に進学した。休日は東京都内へよく遊びに行った。妹のことを知らない友達と遊ぶのは新鮮だった。何気なく服屋の前を通ると、友達が自然と口にする言葉があった。

「〇〇ちゃんに似合いそうだね」。

その名前は店や服によって毎回変わった。たいていは共通の友人の名前で、時々有名人や知り合い程度の人の名前で、私の名前が入ることもあった。特定の人の顔立ちや体形の美しさを褒めることはあったけれど、それよりも見た目は「その人らしさ」と関連しているものなのだと知った。

東京には色んな街があって、それぞれが一駅ほどしか離れていないのに、少しずつ違う。渋谷では肩身の狭そうに歩いているような人が、秋葉原で楽しそうに闊歩している。銀座のショーウインドウから抜け出したような人は中野の雑踏では居心地が悪そうだ。だが不似合だからといって追い出されるわけでもなかった。

東京で色んな人と出会った。時折街中で、ふとこの店の服はあの人に似合いそうだな、なんて思い出したりする。その瞬間が結構好きだ。

彼にとって私は"じゃない方"ではなかった

24歳の秋、小さな1Kでプロポーズを受けて快諾し、近所のコンビニでゼクシイを買った。

白いドレスを着て表紙でほほえむ花嫁は「かわいい女の子」の最終形態で、私なんかが手にとっていいのか、やっぱりこわくて手が震えた。ベルサイユのバラの描き下ろし漫画があったからと心の中で言い訳をしながらレジに向かった。

「おめでとうございます。」

アルバイトのお兄さんがそう言った。びっくりして顔を上げると、はにかんだ笑顔がそこにある。慌ててありがとうございますと伝えてレジ袋を受け取った。ずっしりとした中身に袋が破けそうになる。お兄さんにとっては何気ない一言だったのだろう。だけど私にとっては、「ふつうの女の子」という許可証を手渡されたようだった。

ほんとうは結婚が決まったとき、彼を妹に会わせるのがこわかった。妹を見て、やっぱりあっちがいいと言われるんじゃないかとか、がっかりされるんじゃないかとか。彼にそれを話したら、一緒に過ごした経験に代わりはきかないと笑われた。

彼にとって私は"じゃない方"ではなかった。それはその通りで、ごく当たり前のことだった。そんなことに気付くまでに四半世紀かかってしまった。

沢山の人がいて、私もその中の一人だけど、それでいい

今は、東京ではないけれど、自分の好きな街に住んでいる。少しずつでもこの街に似合う私になりたいと思う。いつのまにかあんなに怖かった妹との比較をおそれなくなっていた。20代を東京で過ごしてよかった。沢山の人がいて、私もその中の一人だけど、それでいい。それがわかったから自分の意思でどこへでも行けるようになった。

今でも時折コンプレックスは顔を出すけれど、身動きがとれないほどではない。どこへ行っても私は変わらない。「私は私」。それがもどかしいときもあるけれど、なんだか誇らしい時も確かにあるのだから。