髪型変えたワケ
「玉城ティナちゃんにしてください♪」の気持ちで玉城ティナちゃんを担当してる美容師さんに髪を切ってもらった。当然のように玉城ティナちゃんにはなれなかったけど、鏡に映ったわたしの頭は、私史上一番小さく見えた。こんな平々凡々の一般市民にすら誠実な仕事をする、たしかな技術を持ったプロフェッショナルに髪を繕ってもらって、玉城ティナちゃんの煌めく美貌は保たれてるんだ、と思ったらなんだか泣けてきた。
髪型を変えるとき、わたしは人生が変わることを期待する。わたしだって、玉城ティナくらい美しければ、きっと誰にも粗末に扱われたりしないだろう。こちらから願い下げの男に足の太さや胸の大きさを品定めされることなんてないだろう。振った男が腹いせに「アイツは思わせぶりだ。ビッチだ」と噂しても、周囲はそれを鼻で笑い飛ばすだろう。そして惚れた人は確実にわたしのことを選んでくれて、お姫様のように大切にしてくれる。辛い仕事には、真摯な努力には、それに値するだけの素晴らしい評価と報酬がついてくる。すべてがうまくいく人生を歩めるはずだ。わたしがみじめな思いをするのは、わたしの顔が、スタイルが、玉城ティナではないからではないか?そんな希望にすがって、せめて髪型だけでも玉城ティナに近づきたい。
そして、その期待はいつも裏切られる。鏡の中のわたしは決して玉城ティナにはなってくれない。
それでも夢を見ることをやめられない。
それはいつものわたしたち
山戸結希監督・玉城ティナ主演の『玉城ティナは夢想する』という短い作品がある。YouTubeで公開されている。是非一度観てみてほしい。
わずか15分足らずの映像にわたしは驚愕する。眼鏡をかけ唇の血色が失われ部屋着を着て真っ暗な部屋で体育座りをする「わたし」と、満を持して唇に紅を差し真っ赤なワンピースの裾をはためかせる「わたし」との間を永遠に反復横飛びし続ける玉城ティナ。
それはいつものわたしたちの姿ではないか。一晩中泣きはらしてパンパンにむくみきった目元に熱湯やら冷水やらをぶっかけて、なんでもない顔で完璧なメイクをするわたしたち。いつか来るはずだった「ここぞ」という日のための新しいハイヒールを下し、なんとか心に点滴を打ち込んでルーティーンの仕事に繰り出すわたしたち。よりによってそんな日に開催される職場の飲み会で、彼氏とか結婚とか出産とか見た目とかズカズカとコメントされて心が荒んでも、機転のきいた自虐ネタで必死の笑いを取るわたしたち。玉城ティナが玉城ティナとして装わないとき、真っ暗なワンルームでうずくまる何者でもない少女と人気モデル・玉城ティナとのギャップに、平凡なわたしと平凡なわたしが社会性を身に纏おうと画策したその姿とのギャップとの相似を感じずにはいられないのだ。
人生を、少しマシに過ごすために
その2つの自画像の堪え難い落差を、玉城ティナの中にすら見出すとき、わたしたちはようやく彼女にも、自力ではどうにもならぬ理不尽に涙を流す夜があるだろうと想像が及ぶ。玉城ティナといえども、玉城ティナと玉城ティナならざる少女との間の暗くて深い溝にハマって抜け出せぬ日がある気がしてくる。玉城ティナが日本中の女の子の「かわいい」を背負うとき、玉城ティナの中の玉城ティナならざる黒子の格闘は、決して観客に映らない。その孤独な闘いは一体今まで誰が、なにが、支えてきたのだろう。
玉城ティナを含むわたしたちは、そんなアンビバレントな自画像を抱えて、今月も美容室へ行く。嫌味な取引先も高圧的な上司もデリカシーのない同僚もいなくならないし、野暮ったい奥二重はぱっちり二重にならないし、彼氏は結婚してくれないし、年収は上がらないし、体重も減らないけど、きっと変わらない人生を、一瞬だけ、少しマシにやり過ごすために。
ちなみに、最近玉城ティナはインスタグラムで青く染めた髪色を披露した。彼女もまたやっぱり劇的な変化を望んでいたりするのだろうか。
役作りかもしれないけどね。