世間のルール、とくに暗黙のルールは、うんざりするほどある。私の幸せなところは、その「世間ルール」にあまり触れる機会がなかったことだ。

いや、「触れる機会を回避していた」という方が正しいかもしれない。つまりこれも、これから書く「自分ルール」のひとつなのだ。

「世間ルール」が正しい場合がほとんどだけど

もちろん、「世間ルール」が正しい場合も沢山ある。というか、ほぼほぼ正しい。むやみにお菓子をくれるおじさんに付いていってはいけません。分かる。公共の場で大声を出してはいけません。まあまあ分かる。公共の場でいちゃつくべからず。ものすごく分かる。
私は酔っている時、そんないちゃついているカップルの間を手刀で切り離しながら割って入ったりする。これは世間ルール的にはアウト。しかし私はやる。触れていないのでセーフ。

私のように、アウトとセーフが曖昧な「世間ルール」に反感を持っている人も少なくないだろう。しかし、そのような人々にも、「自分ルール」はあるのではないかしら。

たくさんある私の自分ルール

私には自分ルールがとても多い。その一部を列挙してみる。

・昼間から酒を飲んではいけない
・ぬいぐるみには自分の食べるものを与えなければいけない(とくに彼らの好物の魚、チーズ、アイス)
・脚を組むさいには定期的に組み替えること(そうしないと骨盤が歪む、と聞いたことがある)
・化粧品は信頼できる人に勧められたものを買うこと
・見た目に関しては人の真似をしてもいいが、内面のことに関しては無闇に真似ないこと
・悪酔いしそうだという予感がした時点でただちに飲むのをやめること
・嫌いな人に対して嫌味を言うくらいなら近付かないこと
・ラインの返信を溜めすぎないこと。どうしても開くのが怖い場合は気心の知れている友人に開いてもらうこと
・うがいは15秒ガラガラすること(高校の古典の先生に教わった)

そのほかにも、いくら相手を好きでも突飛な行動を取らないこと、などがある。

私は高校の時の音楽の先生(一般的にはおじさん)のことがどうしても好きで、卒業してから先輩と母校を訪れたとき、職員室に侵入し、その先生の引き出しに入っていた海苔を一枚出して、自分のメールアドレスと携帯番号を書いた紙とともに置いたことがある。印象に残ることをすれば心に留めてもらえると思ったのである。しかし連絡がこなかったことから察するに、その方にとっては恐怖体験として心に留まったにちがいない。

このように書き連ねてみると、自分ルールの中にも世間ルールがいくつか組み込まれていることが分かる。世間ルールをいくら毛嫌いしても、生きていれば自然と身についてしまうものなのですね。

「変な人」というのは、世間ルール的には排除されがちだ。しかし、排除している人にも、ひとつくらいは一般的に「変」な「自分ルール」があるのではないかしら。私は他人の「自分ルール」を尊重するような、心の広い人でありたいと思う。

世間ルールと自分ルール、そしてそれらの混じったルールをうまく活用して、ストレスのない生活が送れたらどんなに良いかと思う。

本当はルールになんて縛られないのが平和なんだけど

ルール、ルールって、沢山書いたのでゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。ルールという言葉に縛られないのが、本当は一番の平和なのかもしれない。

平和、なんて大仰なことを書いたけれど、とにかく私が成さなければいけない「自分ルール」は、手始めに「昼間から酒を飲んではいけない」だ。自分ルールは自分の裁量で変えられるので、危ない。変えてしまわないように、明日も酒は18時以降にするぞ、と心に誓って、眠ることにする。