高校で不登校になり、学校を変える決断をした2年生の夏。
生まれて初めて髪を染めたのは、私なりの決意表明だった。

人前に立つのが好きな私は「変わっているね」と言われた

小学生の頃、男子に混ざってサッカーをやっていたり、人前に立つのが好きで全校生徒の前で作文を読むのに立候補したりする私に、友達や周囲の大人はよく「変わっているよね」「普通じゃないね」と言った。
クラスの女子全員から無視された時も、先生を通して聞かされた理由は「変な子だから」だった。

中学に入って、私は本心を隠すことを覚えた。
「言いたい」気持ちや「やりたい」気持ちを抑えて常に無難な選択をしていれば、周りから浮くことはなくなって、気付けば小学生の時に私を無視していた人たちもニコニコと話しかけてくるようになっていた。
ホッとするのと同時に、いつかどこかでボロが出てしまってはいけない、そうしたらきっとまた嫌われるに違いないと、いつもビクビクしていた。
そしていつしかそんな毎日に疲れて、学校に行くことができなくなった。

自分をさらけ出して浮いた存在になるのが怖かった

高校で不登校になったのも、同じような理由からだった。
市内外さまざまな所から生徒が集っていた高校では、きっと自分を出すチャンスはいくらでもあったのだと思う。
だけど私は、またも自分を偽ることを選んだ。
自分をさらけ出して浮いた存在になるのが怖かった。変だと思われるのが怖かった。
誰かから嫌われるくらいなら、自分に嘘をつく方がよっぽどマシだと思った。

無事に「地味で大人しくて目立たない」という位置取りに成功すると、一年半の間、クラスの全員から「苗字に”さん”付け」で呼ばれることになった。

眼鏡をかけていて無口なことから「勉強ができる」と思われてしまっていた私は、本当は勉強なんて大嫌いだとは言うことができなかった。
いつも真面目にノートを取るふりをして落書きばかりしていたから、当然成績も悪かったけど、他の子のようにテストの点数を笑い話にできる勇気もなかった。

金髪にしたのは「自分を偽るのはもうやめる」という私なりの決意表明

そんなふうに、周りに合わせて色を変えるカメレオンのように生きていたら、いつのまにか自分の本当の色まで分からなくなってしまった。

自分がやりたいことは何なのか?
これといった夢や目標もないし、毎日楽しくもないのに、私はいったい何のためにこの学校に通っているのか?
そう考えた時、「この学校をやめたい」と思った。

学校を休んでいる間に、さまざまな高校の資料を見た。
その中で「ここに通いたい」と思えた場所があった。

正式に転校が決まると、私は真っ先に美容院へ行った。

思えば、美容院ではいつも「おまかせ」だった。
髪を切るタイミングも、周りから「そろそろ切ったら?」と言われたり、好きな人が「ショートが好きだ」と言ったりした時だった。

あの日、私が金髪にしたのは「自分を偽るのはもうやめる」という私なりの決意表明だった。

「あの人が」とか「職場が」とか、自分以外を主語に置くのは、もうやめたい

これからは、自分がしたいと思った色に染める。
髪も服も行動も、「人からどう思われたいか」ではなく「自分がどう在りたいか」で決めてやる。

新しい学校では、部活や生徒会など、やりたいことを躊躇せずにやった。
周りも、私を「私」として受け入れてくれた。

でも、学校を卒業するとそんなことも言っていられなくなった。
社会には社会人としての「女性らしさ」や「日本人らしさ」などといった不可解なルールが多く存在していた。
髪色も仕事が決まっては暗く染めて、辞めては明るく染めて、また暗く染めて。
鏡に映る「”私らしさ”からかけ離れた私」を見ては、虚しさを覚えてしまう。

「あの人が」とか「職場が」とか、自分以外を主語に置くのは、もうやめたい。

「前へならえ」をしてさえいれば失敗することは少ないけど、そうやって統一されたものが美しいとされる時代は、そろそろ終わりにしてもいいのではないだろうか。

これからは、みんながそれぞれの「自分らしさ」を諦めなくていい社会に変わっていってほしい、いや、変えていくべきだ、と強く思っている。