自分に与えられた性別に「適合」している、という実感をずっと持てずにいた。

とはいえ、男になりたいとかそういうわけではない。ピンクと水色があれば水色を選び、セーラームーンとウルトラマンがあればウルトラマンを選び、お絵かきとドッチボールがあればドッチボールを選んできただけである。

しかし、第二次性徴を迎えたあたりから、こんな些細な選択の積み重ねと自身に与えられた才能がはっきりと劣等感として意識されてきた。この時期から「女子」でいることにはスキルとコストが求められることが判明したのだ。

器用家系の娘として生まれたはずのわたしは、絶望的なほど不器用だった

女性らしいフワフワとした髪の毛は、ヘアアイロンという180度にもなる高音の棒を顔のまわりでクルクルと華麗に扱えなければ作れない。つやつやとした均一な肌やパチパチクルクルキラキラとした目やうるうるの唇をつくるのはやはりメイキャップであるわけだが、あんなもの顔をキャンバスに毎日絵を描くのと同じである。

なのに、誠に、誠に残念なことに、祖母は小田急百貨店のお針子、母は習字の師範という由緒正しき器用家系の娘として生まれたはずの女子たるわたしは、絶望的なほど不器用だった。

同級生の女たちが調理実習できゃっきゃとシフォンケーキを作っているあいだ、薄力粉と強力粉の違いもわからず安易に呼吸をしては粉をぶちまけるわたしの担当は、大雑把な青椒肉絲の中華鍋である。そんなわたしがヘアアイロンなんていう危険な道具を繊細に扱えるわけもない。エッシャーのだまし絵を模写してあまりの雑な仕事に階段がつながらなくなってしまい、美術の評価5段階中の2を獲得したわたしに(1を取ると進学できないため情けをかけられた)画筆より細いペンで目のきわに線をひくなんて無理に決まっていた。

わたしは「女子」にはなれなかった。なれないまま女子高を卒業した。大学では髪を巻くこともアイラインを引くこともすっかり諦めて、これがわたしさとうそぶいた。

テクノロジーの進歩がわたしをついに「女子」にした

時は流れて早10年。当時存在すらしていなかったインスタグラムの中でも、かわいらしい「女子」達がアイロンを巻き続け、アイラインを引き続けていた。かつては雑誌で二次元でしか提供されなかったテクニックも三次元ならあぁなるほどと思えるものもあった。そして彼女達はしきりにこう言った。

「このアイロンめっちゃ巻きやすいのでオススメです!!」

「このアイライナーはマジで描きやすい!!そしてにじまない!!!!」

どうせステマだし、という捻くれた見方は捨てきれなくても、見続けているうちに本当かな?という興味も湧いた。10年の間に化粧品界はプチプラブームで話題のアイライナーも1000円ちょっとで手に入る環境になっていた。そして、水で濡らした寝癖を焼き切るために10年前に母からもらったヘアアイロンもケーブルから火花が出て、さすがに買い換えようというタイミングになった。(注:美容師さんによると、髪が濡れたままアイロンを使うと、かなり髪が痛んでしまうらしいので真似しないで下さい。)

えいやっとオススメされたヘアアイロンとアイライナーを買いそろえる。あーでもないこーでもないと試行錯誤しているうちに、今までの苦労が嘘みたいにおくれ毛がイキイキとカーブしだした。たった1000円のアイライナーの筆も信じられないくらい優しく柔らかく、でも、にじまない。

10年もの歳月の間、見知らぬ誰かの甲斐あって、不器用のための道具が開発されていたのだ。

テクノロジーの進歩がわたしをついに「女子」にした。

わたしが女子であることは、まわりから見れば至極当たり前だったのだ

その日は当然お出かけをして、みんなに嬉々としてゆるくカーブしたおくれ毛とスキッと引かれたアイラインを自慢した。みんなは苦笑しながら「よかったね」と言ってくれた。でもさ、こっちからしてみれば、あなたは最初から女子だったけどね。と。

わたしの自意識のなんとちっぽけなこと。わたしが女子であること、そんなのまわりから見れば至極当たり前だったのだ。なのに、その当たり前を実感するために、こんな歳月とちょっとばかりの挑戦を必要とした。くだらない、かもしれないけれど、一歩だけ踏み出せたから見えた景色はそれなりに愛おしかった。