一重まぶたは度々マイナスイメージにさらされる。どうしてなのか私にはよく分からないけど、私の周りの人は誰もが「一重=劣ったもの」という価値観に支配されていた。

逆に私にとっては、二重とはすなわちシワのあるまぶただった。生まれつき、どこもかしこもつるすべでハリのある時から既にシワを持つまぶた。
閉じるとつるつるなのに、目を開けると何故かシワができる。それが一重の私からすればめちゃくちゃ面白くて。構造の違いって面白いな。二重って面白い構造のまぶただな。という認識でしかなかった。

ただ、皆が二重に憧れているのは小学生の頃の私でも、肌で感じていた。
同じクラスの一重の友達は、「両親が二人とも二重なのに、なんか一重になっちゃった」と一重を良くないことであるかのように話していたし、私の母親は年を取ってから二重になったことを喜んでいた。
どうしてシワを皆欲しがるんだ?と私は不思議でしょうがなかった。実は今も分からない。
でも中学生も半ばになって、明らかに二重に憧れている本人に初めて会うことになった。

毎日欠かさずアイプチをしていた彼女は、整形したいと言っていた

二クラス合同の体育の授業をきっかけに話すようになったその女の子は、自分の目が嫌いだとよく言っていた。自分の一重まぶたは目立たない、二重が良かった、と。
「結局ね、顔のパーツで目が一番印象を与える面で大事だと思うの」「目が印象的な人って、記憶に残るでしょ?」そう言って、彼女は毎日欠かさずアイプチをしていた。

うちの学校はメイク禁止だったが、ほとんどの先生は黙認していた。それでも一人体育の教師で校則に厳しかった先生がいた。
その先生にアイプチを外せと言われて、ある日彼女が私に愚痴を話しに来たことがある。「A先生に変だ、似合わないっていわれたの。アイプチ。ひどくない?」
そのままでいいよと先生は言いたかったのかも、と思った。でも毎日彼女がやっているのを見ていれば、その気持ちを踏みにじるような発言は不用意に感じられた。
彼女は続ける。「私本当にこのまぶたが嫌で、たまに整形したくてたまらなくなるんだけど、今がそう。アイプチで変って言われるなら……本当に将来お金貯めて整形しようかな」
本当に整形しそうな勢いだった。

一重じゃ何がいけないの?

それから時は流れ、私は大学生になった。身の回りに目が行くようになったり生活環境が変わったりしてから、私たちを取り巻く環境にまるで二重を推奨するかのような情報が多く存在することに気がついた。

バイトでドラッグストアの棚卸しをしたときに、目を二重にするための製品が一棚まるごとずらりと並んでいるのに気がついた。
電車で、そしてテレビで、「二重にも色々あるが、あなたはどの二重になりたいですか?」という趣旨の美容整形の広告を見た。
それだけ二重になりたい人がいることの表れだろうなと思うと同時に、一重じゃ何がいけないの?という思いがこみ上げてきた。

二重にあこがれる二重信者が先か、二重信者で儲けたい企業が先かは分からない。でも、一重まぶたで不便なことは何もない。機能上問題ないし、見た目で優劣つけるだなんてそんなのまぶた一つには荷が重すぎる問題だと思うし、一重にも二重にもそれぞれの良さがあると思う。現に私は自分の切れ長の、シンプルイズベストな一重が好きだ。

「一重蔑視」とも言えそうな風潮に怒りを感じる

一重、なにも問題ないと思うんだけど。
どうして一重まぶたのモデルは少ないの?
コアな線行くけど、赤ちゃん用おむつの写真に使われてる子供、今年の夏見たとき全員二重だったんだけどどうして一重の子も登用しないの?多様性どこ行った?
メイクも二重や奥二重向けばかりで一重まぶた向けのは今まであんまり紹介されてきていなかったよね?
「一重なのにかわいい」とか「一重だけど目が大きい」みたいな言葉、たまに耳にするけど結局一重のことを下に見ているよね。侮辱だよね。一重が一体何をしたっていうんだ?

そういった疑問、というかもやもやがいくつもある。
私はこの「一重蔑視」とも言えそうな風潮に怒りを感じている。
一体何人の人がこの風潮で悩んだんだろう。本来悩む必要のない、生まれ持った体を愛せなくなるような人ができるような価値観を、一体いつどこの誰がなんのために生み出したんだろう?
少なくともそれは私でも、二重に憧れる私の周りの人たちでもない。それに、もはやこれは個人の問題の域を超えるように感じる。だから私一人がここで発言してもあまり力を持たないかも知れない。
でも、だからこそ皆で言っていきませんか?
ちょっと、一重まぶたで何が悪いんですか?