23歳の誕生日の前日、私は銀座のサロンにいた。
ビルの最上階にあるそこへは、前に一度だけ足を運んだことがある。
人生ではじめてショートカットにした時、練習台のカットモデルとして切ってもらったのだ。3~4年前のことだけど、よく覚えている。

普段なら到底行けないような値段のサロンで切ってもらった、はじめてのショートカット。不安が「切って良かった」になった、あの瞬間。

よい美容師とサロンに出会うことは、自分の中の「ない」を「ある」に変えてくれるのだと知った。

サロンの良さは値段だけではない。もちろんわかっているけれど、そこで過ごした時間がどうしても忘れられなかったのだ。

それからいろんな美容室に行き、ショートもロングもメッシュもハイライトも体験したけれど、いつもどこかで「またあそこに行きたい」という気持ちが湧き上がる。

自分の中の「ない」に挑戦したいときに、抜群の技術とセンスで背中を押してくれる場所があると知っているからだ。

前髪がなくても「大丈夫」と思いたかった

23を前にして、10年ぶりに前髪を伸ばそうと思った。前髪がなかった13歳の私は、ひどくブスで、太っていて、垢抜けなかった。前髪をなくせば、魔法が解けてあの忌々しい頃に逆戻りしてしまうのではないか、と思い込んで生きてきた。

「前髪なしで行けるのは本物の美人だけ」という呪文を、いつも繰り返していた。

「本物の美人」にしかできない髪型だと思っている、「前髪なし」。私がなりたくて名乗っているペンネーム「美人」。本当はどう在りたいかなんて明白だった。

おでこを出して、自分に自信がありそうな、大人の女性になってみたいと思った。文章を書く人として生きていくなら、自分のことを臆せず前に出せる、聡明な人になりたかった。髪型がそういう自分にしてくれるんじゃないかと期待をした。自分を隠さずに、考えていることや思っていることをもっとそのまま出せるようになりたかった。自信も欲しかった。

別にまた前髪を作ってもいい。だけど、前髪がなくても「大丈夫」と思いたかった。思春期に患ったコンプレックスを、ここらでクリアしておきたかった。

「前髪なし」のお気に入り写真が何十枚もできた

10年ぶりの決心をするなら、行くサロンは決まっている。あそこならたぶん、私の中の「ない」を「ある」に変えてくれる気がした。

ウルフレイヤーにしたくて、Instagramで見つけた美容師さん。所属していたのは「あのサロン」だった。インスタから美容師を指名してサロンに行くなんて初めてだ。

前髪を伸ばすか迷いすぎて、だいぶプリンになった頭でサロンに向かう。垢抜けなさが恥ずかしかった。だけど4年ぶりに来たそこはやっぱり最高で、「私、ここなら変われる」と思った。

目の前に現れるトップスタイリストに、陰キャの私はたじろいでしまう。だけどどう言えばいいかはシミュレーションしてきた。素直さで勝負するのだ。

インスタで見たあの髪型にしたいこと、10年ぶりに前髪を伸ばしてイメチェンしたいこと、明日誕生日でお出かけするので可愛くしたかったこと、インスタで指名するとか初めてでぶっちゃけ緊張してること、何もかもを言ってしまった。
緊張も、自信のなさも、変わりたい気持ちも全部託してみようと思った。

仕上がりは最高だった。ライター画像として私が使っているのはこの時の写真だ。

誕生日はおかげで、最高の日になった。「前髪なし」の自分のお気に入りの写真が何十枚もできた。自分の中の「なし」が「あり」に、またもや変わっていた。

人生初の「前髪なしショート」にもなった

それから2ヶ月して、私は「前髪なしショート」というまたもや人生初の髪型に挑戦している。
自分に自信がついたら、溌剌とした内面と、外見を合わせたくなったのだ。あのサロンのあの人に任せれば、きっと大丈夫だと思えたから。

この前飲みに行った男の子に、「すっごい似合ってる」って真顔で言ってもらったの、死ぬほど嬉しかったな。